金曜日仕事で大阪市内の小学校を中心に営業に回った。
全国的にそうだと思うが、ある男が小学校に乱入して複数の児童を殺傷してからというもの、学校へ入るときのセキュリティーは高く、校門を開けっ放しにしている学校は皆無であった。

市内の小学校のセキュリティー対策は校門を閉めっぱなしにして、校門近くに設置されたインターフォンで中に入る前に名前と用件を告げてから、勝手口みたいなところの鍵を開けてもらい中に入らせてもらうことになる。
鍵を開けてもらえなければ、2メートル近くもある門や塀を乗り越えるしか侵入の方法はなさそうだ。
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いくつか学校を回ったが、厳しいところでは入るときにノートに名前や用件を書かせるところもあったが、大体はインターフォンだけでチェックが行なわれている。

適当な事を行っても入れるのだろうが、招かざる客にとっては入る前に相手をだまして鍵を開けてもらわなければならず、校内に入って何かをしようという気持ちは随分抑制されると思う。
インターホンを使ってほとんどの学校に入らせてもらったが、例外が2箇所ほどあった。

ある小学校では工事が行なわれており車で近づくと、工事関係者が何を思ったか我々の車を招き入れて校内の駐車場に誘導してくれた。
またある学校では、直前に入ろうとした父兄の次にインターフォンを鳴らそうとしたら、その父兄が出入口のドアを開けて待ってくれたのでそのまま入らせてもらった。

入口のセキュリティーの高いマンションに空き巣が入る手口でなんていうのか忘れたが、前の人の後についていう方法はマンションばかりでなく学校にも有効だと感じる。


一頃は地域に開かれた学校づくりみたいな方向付けもされ、自由に人が入れる空間だった学校は2001年の6月に発生した
 宅間 守(たくま まもる)
という人物の事件により、方針を180度変更し、子供を守るために人が入れない空間に変わったしまった。
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1963年生まれと私の1つ年下の彼は、2001年大阪教育大付属池田小に突如侵入し、校内にいた児童8人を殺害し15人に重軽傷を与えるという大事件を起こす。
すぐに逮捕され、大阪拘置所に拘留されるが獄中結婚し姓を
 宅間から吉岡
に変え、裁判は入院歴等から刑事責任能力が鍵とされ精神鑑定を行なったが、2003年には
「犯行時、刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていた」
と判断され大阪地裁で死刑判決を受け、控訴して争う構えだった弁護団を尻目に彼自身が控訴を取り下げてしまい、そのまま死刑が確定し、2004年に大阪拘置所で死刑執行された。

とんでもない事件を起こした許せない犯人であったが、後の潔さはある意味彼にも人としての良心があったのかと少々安心させられる。

そんな悲惨な事件は昔話となった今、安易で短絡的な学校を閉鎖した現状には少々疑問を感じる。
彼の行なった犯罪は、校内でしか出来なかった犯行ではなく、当時が今の状況なら舞台が学校から学校以外に変わっただけでやはり悲劇がおきていたのではないかと思う。

もし開放して、うちの子に何かあったら責任とるのかと詰め寄られても責任なんか取りようがないものの、学校というスペースは生徒の顔を知る数十人の先生方が常時いる場であり、開放したところでその辺の街中よりは遥かに安全な場所だといえると思う。

対症療法的なこの部外者隔離政策の学校運営、一体何時まで続くのだろうか。


 ・・・おの・・・