30年前の中学校2年の時に、父の仕事の関係で1年少々韓国で暮らしたが、そのときの事を書かせていただいているこの帰国子女シリーズも少々迷惑な第9話となってしまった。

前回、国対抗の雪合戦をやったり、漢河(はんがん)というソウル市内の川のほとりで、小銃を持った兵士に銃口を向けられた話までさせていただいた。
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国別の雪合戦なんて普通やる機会は絶対に無いと思うが、そんな機会が韓国にはあった。
アメリカ人やドイツ人たちと何回かやったような気がしたが、戦績は思わしくなかった。
その理由は、何処の国の人も小中学生は結構いるのだが、日本の受験制度のせいか、中学校高学年が日本人には極端に少なく、前も話したが日本人でソウルの日本人学校に通っている中三は2人で中二も6人しかいなかった。

雪合戦の戦力的には中心的役割の中学校高学年が少ない分、何回やっても戦いは常に不利であった。
ただ、国別っていう独特のチームのせいか、子供心に日本人として負けてはいけないみたいな小さな愛国心を感じていたのも事実で、少々複雑な心境の雪合戦であった。


さて、漢河のほとりで小銃の銃口が向けられてしまった私は、日本にいるときには感じたことの無い恐怖心を感じてしまった。
背骨の中に直接氷水を注入されたような戦慄みたいなものも覚えた。

日本での生活も、ややこしい不良に絡まれたり先輩に殴られた事もあったが、そんなものとは比べようにならない直接的な死を感じる恐怖心であった。

男の持ってる小銃には弾が込められているだろうし、その男は興奮気味に怒鳴りながら小銃を私に向けている。
こんな至近距離で引き金を引かれたら確実に私は死ぬと、いくら平和ボケした日本人中学生でも理解できる状況であった。

とにかく死にたくは無い。
先輩と涙目になりながら、
「イルボンマル(韓国語で「日本人」)」
「チュンハッキョ(中学校)」
「we are Japanese!」
「we are Japanese student!!!」
「I wont to go home!」
などと、思いつくだけの命乞いの言葉を並べるが、兵士の怒りは収まらず次々と怒鳴りまくるものの、なんせこちらは韓国語がほとんど判らず、謝ろうにも何で怒られているのか判らないし、
「ごめんなさい」
という韓国語さえ知らないのだ。
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実際は数分だったのかもしれないが、私たち的には数時間にも感じた恐怖の時間は、やがて終わりを告げた。

1人の兵士が何かを言いながら、
「向こうへ行け」
みたいなジェスチャーをしたので、先輩とゆっくり兵士の指示する方角へ立ち去り始めたが、兵士は追ってくるようなことは無かった。

川原を抜け土手の道まで戻った時、我々に本当の安堵感が訪れた。

先輩と
「良かった。」
「無茶苦茶びっくりした。」
「撃たれるかと思いましたよ。」
とか話しながら漢河を後にしたが、結局後で考えると好奇心旺盛で低いフェンスとかを超え、看板なんか読めないもんだからどんどん進んでいった漢河のほとりは立ち入り禁止場所だったようだった。

北との休戦状態である韓国の当時の緊張は、私なんか日本人の子供の想像を遥かに超えるものがあったようだ。

それ以来気にして見ると、市内を見渡せる高い山とか橋の橋脚など市内の重要な施設などは防衛上の目的で軍が立ち入り禁止場所を設定して兵士が警戒に当たっているようだった。
全然知らないし、先輩が一緒だから大丈夫だろうと、無警戒で探検していてこんなことになってしまったようだった。


話は変わって季節はいきなり温かくなる。
甲子園で優勝した東邦高校だったか東洋大姫路だったか忘れたが、今でいうハンカチ王子くらい有名となったバンビ君こと坂本投手が日本選抜チームとして日韓親善試合をするためにソウルを訪れた。

生徒を総動員して、ほとんどが韓国ファンのスタンドに、日の丸の小旗を持って日本選抜チームの応援に駆けつけた我々日本人学校応援団であったが、試合開始前に烈火のごとく
「君たちには愛国心が無いのか!」
とある人に怒鳴られてしまう事になる。

学校関係者以外の久々の日本人の訪韓に気合を入れて応援しようとしていた矢先の我々に何が起こったのであろうか?





・・・おの・・・