30年前の中学校2年の時に、父の仕事の関係で1年少々韓国で暮らしたが、そのときの事を書かせていただいている。

当時数千万人の人口の韓国にあって、生活する日本人の数はせいぜい千人か2千人程度であったと思う。
考えてみれば、私が過ごしたのは韓国の中の、ほんの小さな日本人社会である。

私の住んでいた南山(ナムサン)の外人アパートは、日本人を始め、アメリカ・イギリス・ドイツ・インド・中国など様々な民族が暮らしていた。
大人になれば、こんなアパートで外国人に対する接触は最小限にとどめるのだろうが、当時私は中学生で、日本人とだけ遊ぼうとしても数が少なかったので、別の国の外国人とも遊ぶようになっていた。
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言葉の壁もあったが、標準語対土佐弁の壁より子供心に小さい感じがした。
別の外国暮らしが長い日本人もいたし、日本人学校に通わないアメリカンスクールの日本人の子供たちもいて、下手なりに知ってる適当な英語でコミュニケーションをとったり、英語が堪能な誰かが通訳に入ったりで、いろんな国の子供が自由に様々な国の子供と遊んでいる姿がこの外人アパートにあった。

最初は仲良く遊んでいても、子供なので喧嘩になることもあるのだが、お互い知ってる言葉を使ってののしりあったする光景があった。

アメリカ人と喧嘩になったときは
 「クレイジー! シャラップ!!」
とか適当に叫んで、向こうからは
 「ばかぶた! ふじやま!!」
とか、これまた微妙な日本語が返されてくる。


仲良くなるのも早いが、喧嘩するのも早いって言うのは子供だから仕方が無い。


ある雪が積もった日、近所のドイツ人を呼んできて雪合戦をすることになった。
当時の外国に雪合戦という文化があったのかどうかは良く判らないが、適当な英語とジェスチャーで雪合戦は始まった。

私も近所の小学生まで動員するが、やり始めてすぐ参加した子供の体格の問題で日本人チームが圧倒的に不利な事に気付いたが、時遅く日本人最年長で背の高いぶん私は余分に雪の攻撃を受けて真っ白になってしまった。

平均すれば身長差が15センチくらい日本人チームの方が低く、やっぱり白人は体格がいいんだと納得しかけたが、冷静に考えると中学生が中心のドイツ人チームに対して、我々日本人チームは小学生中心のチームで戦っており、これが大きな敗因と気付いた。


話は少し変わる。
とある日、中2の私は唯一の中3男子の先輩と2人で漢河(ハンガン)のほとりを探検して遊んでいた。
漢河というのは、ソウル市内を東西に流れるソウルのシンボル的川で、付近には国会議事堂なんて主要施設もある。
狭い韓国の暮らしだったが、この先輩が色々連れて行ってくれたので、思い出の数を増やしてくれたように思う。
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私が中2の時の3年生は2人で、男子はこの先輩以外いなかった。
日本では、超有名な製菓メーカーの幹部の御曹司である。

漢河を先輩と2人で上機嫌で探検しながら歩いて、ある橋に差し掛かったとき、とんでもないことが起こった。
何処から来たのか判らないが、突然自動小銃を持った兵士数人がいつの間にか私たちを取り囲み、口々に私たちに何かを話しかけてきた。

何のことか判らなかったが、先輩も顔色が無かったのでとんでもないことが起こったと察知したものの、言葉が全く判らず取り合えず愛想笑いでその兵士の間をすり抜けようとしたとき、兵士の持った自動小銃は罵声とともに私のほうに銃口が向いてしまった。

いよいよ日韓戦争の幕開けかと感じられたその瞬間であったが、長くなってきたので続きは次回にしたいと思う。




 ・・・おの・・・