今から約30年前の中学2年の時、仕事の関係で1年ほど前から父が働いていた韓国に1年少々住む事になったときの事をシリーズで書かせてもらっているが、今回はその第7話。
 帰国子女①
 帰国子女②
 帰国子女③
 帰国子女④
 帰国子女⑤
 帰国子女⑥


韓国の日本人学校は雑居ビルの一部を間借りしていることは既に書いた。
ただ学校の場所はソウル市内の比較的中心部であり、多くの建物が立ち並ぶ場所で少々手狭な学校であった。
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ビル内にちょっとした講堂みたいなスペースはあったが、体育館も無ければ運動場も無い学校で、体育の授業はもっぱら講堂での卓球か横にあった駐車場でのやるソフトボールかバレーボールで、それ以外では前回話したスケートとか夏場なら地元の学校のプールを借りて水泳なんかもやった記憶もある。

施設は日本に比べて遥かに貧相な学校であったが、大きな施設の整った学校に無い手作り的暖かさを感じる学校でもあった。


ある日、私は体育の授業で駐車場にバレーボールをしに行った。
駐車場は未舗装の砂利と土の混じったような地面で決して足場は良くなかった。
バレーが始まって間もなく、かかと部分を折ってスリッパのように履いていたのを、先生が
「体育で動くから危ないのでちゃんと履きなさい。」
と注意してきたが、少々横着な私は大丈夫と聞き入れることなくバレーを続けた。

しばらくして、ブロックしようとジャンプした瞬間バランスを崩して地面に倒れ頭を打ってしまい血が出始めてしまった。
先生は
「だから言ったのに。」
と少々怒りながら、韓国の先生も付き添って私を病院に運んでくれた。



3針程縫われたと思うが、その後医師から注射をするから尻を出すように言われ
「尻かよ,格好悪いなぁ・・・。」
と思いながら、尻を出して診察台の上で四つん這いになっていると、突然医師は



バシッ バシッ!
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と私の尻を叩いたと思う間もなく、注射を始めてしまっていた。
叩かれた尻の痛みはあったが、全く注射針を刺す痛みは感じなかった。
尻がジンジンしている間に注射は終わり、治療終了となって病院を出たが、付き添いの先生も看護婦さんも普通の顔をしていたので、ごく普通の治療方法なのだと思った。

針を刺すシャープな痛みは無かったものの、叩かれた鈍い痛みはしばらく続き、どっちが得なのか今でも良く判らない。


さて次回は、以前記事で少しだけ紹介させていただいた、中学生の私が銃を突きつけられたことなんかをお話させていただく予定である。




 ・・・おの・・・


※画像は記事の内容と関係ありません。