2話で当時の物価が為替レートの関係もあってかなり安かった事を書いた。
中学生でタクシーも乗ったと書いたが、そのタクシーも決定的に日本と違うルールが存在していた。
日本ではお客さんを乗せたタクシーは、その客を降ろすまで他の客は乗せないのだが、当時の韓国では複数の客を乗せることは普通にあったし、どう考えても5人乗りの車に7人くらいせることもしばしばあった。
中学生でタクシーも乗ったと書いたが、そのタクシーも決定的に日本と違うルールが存在していた。
日本ではお客さんを乗せたタクシーは、その客を降ろすまで他の客は乗せないのだが、当時の韓国では複数の客を乗せることは普通にあったし、どう考えても5人乗りの車に7人くらいせることもしばしばあった。
タクシー乗り場で同じ方向の客をまとめて乗せることもあれば、走っていて客を見つけたら停まって新たな客を拾うこともあった。
おかしいくらいに混みあう車内に異国情緒を感じてしまう。
おかしいくらいに混みあう車内に異国情緒を感じてしまう。
交通弱者である歩行者や自転車と自動車の関係も日本と違って、弱肉強食の様相で、とにかくタクシーなんかは人や自転車が多いところはクラクションをガンガン鳴らして、ぶつかる寸前まで元気よく進む男らしさがあった。

タクシーの話はこの辺にして、2話の最後に
日本の生活では絶対考えられないような何か
と書かせてもらったが、この何かとは、
お手伝いさん
ていうのだろうか、炊事や掃除・洗濯などをやってくれる人の事である。

タクシーの話はこの辺にして、2話の最後に
日本の生活では絶対考えられないような何か
と書かせてもらったが、この何かとは、
お手伝いさん
ていうのだろうか、炊事や掃除・洗濯などをやってくれる人の事である。
こう書いてしまうと、金持ちの自慢話かって言われるかもしれないが、誤解の無い様に言っておくが私の父親はごく普通の勤め人で有名会社の幹部でもなければ、景気のいい商売人でもなんでもなく、収入は普通より多いという事は絶対にない。
当時の物価と円とウォンのレートがなせた業である。
当時の物価と円とウォンのレートがなせた業である。
私の知る限り日本人の同級生など全員の家にお手伝いさんは必ずいた。
アメリカの映画とか日本の大金持ちの家をテーマにしたテレビとかでは見たような気がするが、日本の友人や親戚の家を含めて、お手伝いさんを見たのはこの時が初めてだった。
アメリカの映画とか日本の大金持ちの家をテーマにしたテレビとかでは見たような気がするが、日本の友人や親戚の家を含めて、お手伝いさんを見たのはこの時が初めてだった。
少々クールな雰囲気の50位の女性であろうか、料理も上手で口数は少ないものの韓国の文化や習慣を色々教えてくれて、私たち子供たちにとっては韓国の先生のような存在であった。
この人の存在には母もご満悦のようで、忙しそうに家事をしてくれてるお手伝いさんを横目に、ソファーに座って外の景色を見ながらコーヒーを飲む母は本当に満足そうに見えた。
さて、暖かい同級生に包まれて楽しい学校生活が始まった私に当然といえば当然の大きな障害が待ち受けており、この問題に韓国生活を始めて大きく悩まされる事になってしまった。
私は高知出身なのである。
・・・つづく・・・