中学2年の時、仕事の関係で1年ほど前から父が働いていた韓国に住む事になったことは前回書いた。
 帰国子女①

冬休みに遊びに行って、向こうの日本人学校に通う多くの日本人と遊ぶ機会があり、いろいろ話を聞いているうち韓国での生活が少々魅力的に感じてきた。

すっかり韓国を気に入った私は韓国で生活したいと伝えると、父も単身生活で寂しかったのかトントン拍子で韓国の生活を送るための手続きが進められていった。

そしていよいよ、中2の3学期から、
 見るものの全て
 やる事の全て
が新鮮な韓国生活がスタートすることになった。

当事住んでいた高知にそれほど高いマンションなどは無く、木造2階建ての家が一般的だったが、韓国では15階建て(多分)のマンションタイプの外人アパート生活で、南山という山の中腹に建てられたこの外人アパートの部屋からはソウル市内が良く見えて、ホテル並みの眺望があった。
それまで自転車通学だったのか、韓国では大きなスクールバスでの通学である。
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日本では日本人ばかりなのでなんとも思わなかったが、なんせ韓国の中の小さな日本人社会なので、団結力というほどではないにせよ、日本では感じることの出来ない韓国に住む日本人同士の結束が感じられた。

外国に支店を持つ商社などの子供も沢山おり、別の国の日本人学校から転校して来たっていう同級生もいた。
正直父親の給料的には私の家が最も貧しいのではというくらい、大きくて有名な会社の社員の父親を持つ子供たちが多かった。

どうせ外国行くならアメリカやフランス・ドイツなんて一般の人があこがれそうな国の方が良いような気もするが、そういった国でないほうがいい事も実はある。
外国勤務がある人ならわかると思うが、大体の会社の場合、その国の物価にあわせて給料が支給されるのではなく、日本円でいくらと決まった給料をもらうことになる。
ハッキリ判らないが父には給料に見合う金額に換算されたドルで給料が支給され、必要に応じて韓国のウォンに両替して使っていたようだ。

つまり、給料が同じなのだから物価が安い国で働いた方がいい暮らしが出来るのである。
韓国の物価を一気に押し上げたと言われるソウルオリンピックの10年以上前の話で、当時の韓国の物価は現在よりかなり安かった。

私の小遣いも似たようなもので、日本で買えば60円のコカコーラが韓国なら当時100ウォン(12円)くらいで買えたし、中学生でありながらタクシーも良く使った。
為替レートで考えれば、当時の1000円と1000ウォンはかなり違う金額であるものの、買うものにもよるが日本で1000円で買える位のものが韓国では1000ウォンで買えたような気がした。



そして、日本の生活では絶対考えられないような何かが、この外人アパートの私たちの部屋にはあった。




   ・・・つづく・・・




 ※画像はネットでお借りしたソウル市内のもの
  記憶だけを頼りに記事にしている関係上、多少の間違いなどもあるとは思われるがご容赦願いたい。