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今年の夏の甲子園は大いに盛り上がったが、盛り上がる試合を見ながら、高知出身の私的には10年以上前の悪夢の試合の事を何度となく思い出していた。

何を今更という感じではあるものの、例の松井の5打席連続フォアボールの試合の事だ。

敬遠という言葉を知らない人もいないくらい良く使われるこの戦法は、プロだけの世界のではなく高校野球を含めたアマチュアの世界でも良く行なわれる。

要はバッターに対して絶対打てないような、大きく外れるボール玉を4球投げて1塁に歩かせて次以降のバッターと勝負する戦法で秀でたバッターなんかがいるチームや、打撃力に大きく差があるピッチャー前のバッターに対してよく行なわれる。

日本の文化としてプロが野球を職業という概念で見るのに対し、アマチュアは野球を教育の一環と見る傾向が強い。
そのため、アマチュア野球では審判に抗議することはタブーであり、選手同士もラフプレーを行なう事もこれまたタブーである。
さらに高校野球に限ってみれば、レギュラーでない選手のスキャンダルや、野球部員でない学生のスキャンダルまで出場停止とか辞退につながる、異様な無菌的な習慣がある。

高校野球の開会式の宣言に見られるように、全力を出し切って正々堂々とプレーする事を信念とした大会で、慣例とはいえ余りにも現実とかけ離れた清潔さが求められている競技大会である。


そんな中で平成3年(1992年)8月16日、高校野球自体のモラルを問われるような試合が甲子園で行なわれてしまった。

多くの人が覚えていると思われるが、石川県の星稜高校と高知県の明徳義塾高校との一戦である。
明徳義塾の馬渕史郎監督は、星稜高校を分析した上で超高校級スラッガー松井を全打席歩かせることをピッチャーに指示した。

指示通り明徳義塾のピッチャーは、松井に対して第1打席から第5打席までの20球すべて敬遠のボールを投げ、5打席連続四球という結果になったが、これに対して松井の活躍を期待する甲子園の観客は、高校野球史上初めて見るような非難の嵐で、メガホンやウイスキーの瓶、ゴミなどを球場内に投げ入れて最悪の雰囲気の中で試合が続けられていった。

雰囲気を解説者も危惧しながらもどうしようもなく試合は進んでいって、結局星稜高校の5番バッター以降は明徳の投手を打ち崩すことができず、2-3で敗れてしまった。
馬渕監督の目論見通り、明徳義塾高校はルールに従った松井封じに成功し、3回戦に駒を進めたものの、観客のストレスはピークを迎え暴動が起こるのではないかというような凄まじい雰囲気の中、明徳義塾高校の校歌が罵声にかき消されてしまった。

その後も明徳義塾の宿舎には、恐ろしい件数の抗議の電話が殺到し、高野連会長が異例の記者会見を開いて、明徳の四球攻撃に苦言を呈するという事態にまで発展してしまった。


感情論で言えば、大人気の松井選手の活躍の場所を無くしてしまった明徳義塾高校のやったことは、観客や視聴者の多くにフラストレーションを与えたとは思うが、冷静に考えればごく普通の戦法であり、実は野球のそこそこの知識がある人が勝とうと思うなら、誰でも選択する可能性のある戦略であったと思われる。

試合後、冷静になった世論は大きく2つに分かれる意見が出ることになり、
・敬遠は勝つための戦術として認められているから、敬遠したおかげで勝利に近づくのなら何の問題もない。
・松井は5打席連続安打を放ったも同然で、打たずしてチャンスをもらっているわけなので、続く打者が打て
 ず負けた星稜が悪い。
・野球は個人の成績よりもチームの成績を優先させるスポーツで、特に夏の甲子園は1回負ければ次の試合
 をすることができないのだから、やって当然の策である。

・正々堂々と実力を出し切って勝負するのが高校野球の鉄則であり、いくら好打者だからといって姑息な敬
 遠策で勝負を避けるのは純粋さ欠け、道徳に反する。
・スポーツマンシップを無視しており、誤った教育である。
 松井の打席を見たいと思って観戦したファンへの冒涜である。
・監督の独断で、勝負を望んでいたであろう松井を始めとする両チームの選手達の気持ちを踏みにじった責
 任は重い。
みたいな、意見に集約される。

人気者松井に対してだから世論は非難しただけで、人気のないバッターに対してなら大して問題にもならなかったと思う。

一体誰が悪かったのだろうか。

 ・・・おの・・・