
画像は上の娘さんのようで、ちょっと汚れた服装だったが彼女たちなりに
ヒロシマ・ナガサキ
を訴えて回っているようだった。
それ程多くの事はかかれてなかったので、具体的にどのような事を訴えているのかは知る由もないが、戦争反対とか戦争を忘れるなとかをアピールして回っているようだ。
今更言うまでもないが、61年前の1945年8月6日午前8時15分に広島、9日午前11時2分に長崎へ米国が原爆を投下された。
広島市の人口は当時約35万人、長崎市は約24万人であり、同年末までの推定死者は広島14万人、長崎7万人とされる。
熱線によるやけどは広島で爆心から3.5キロ、長崎で4キロに及んだ。
戦争に行って戦って亡くなった方の死も悲惨だが、日本で生活していたお年寄りや女性・子供の命を無差別に一瞬にして奪い去った
原爆
は、戦争に実際使用された兵器としては最も強力で悲惨な兵器である。
見事に原爆を目的地に投下させ、巻き上がるきのこ雲を見てエノラゲイ乗員が歓喜の叫び声をあげた瞬間、地上は一瞬にして市民の3分の1程度が死亡する地獄と化してしまった。
圧倒的に戦後生まれが占める割合が高くなり、戦争の悲惨さを生で物語る人も少なくなってしまったが、終戦記念日くらいは自分なりに戦争を振り返ってみたい。
・・・おの・・・