
設計室で
「大変なんです!」
と言って社員が新聞のコピーを差し出した。
新聞の大見出しに書かれていたのは
「ローラースルーで男児死亡事故!今度の入学式を目前の悲劇」
という文字であった。
詳しく読むと、その子供はローラースルーで遊んでいて曲がり角でトラックの後輪に巻き込まれたとの事だった。
ローラースルーには簡単ではあるがブレーキは後輪に付いているが効かなかったのだろうか?
情報が新聞記事のみではどうする事も出来ず、憶測と、推定と、不安だけがどんどん高まって行くばかりだった。
結局、警察が作成した我々は事故の調査書なども調べたが、事故の概容は判ったが肝心のローラースルーの詳しい状況が判らず、ローラースルーの構造上の問題なのかどうか判明しなかった。
ただ、ローラースルーに問題があるという様な世間の反応が無い事が唯一の救いとなり安堵感も漂い始めた事故の5日後
「ローラースルー又死亡事故!」「入学を来月に控えた幼児が再び悲劇!!」
の大見出しが新聞を飾り、悲劇は繰り返されてしまった。
たった5日の間に2件もの死亡事故が起きてしまったのである。
それから悪魔が連れてきた様な地獄の様な日々が続いた。
警察に提出する数多くの資料、テスト結果、実機、工場の生産設備説明等の準備と説明に、朝から夜遅く迄、西に東に奔走する毎日の連続だった。
しかしその忙しさに反比例するように、売れ行きは急降下し、そして遂に「0」になった。
生産は事故前10万台/月で3個所の工場ラインを持っていたが、肝心の商品の注文が無くなった事から全ての工場ラインが閉鎖され、大ヒット商品ローラースルーの終焉を迎えることになってしまった。
事故の原因がはっきりしない状態でローラースルーは”危険な乗り物”の烙印を押されてしまい消え去ってしまったが、子供を夢中にさせる楽しい乗物であった。
ただ商品として優れていただけに、道路で乗るには子供を夢中にさせすぎる魅力があったのが逆に大きな欠点となったのかもしれない。
今回の悲運な大ヒット商品「ローラースルーGOGO」の記事は、そのほとんどを開発者の吉岡さんの記事を抜粋させてもらい、短くするために文章を多少変えて利用させて頂きました。
自転車の死亡事故なんか数多く、キックボードやローラースケートの事故も相当数起きているだろうし、交通戦争といわれ年間1万人以上の人が交通事故で亡くなっていた当時を考えれば、2つの死亡事故の為に商品が姿を消してしまったのは少々悲運な気もする。
私自身ローラースルーを見なくなってしまった背景にこのような事件があったとは知らなかった。
-おわり-
・・・おの・・・