
整備士が、マニュアルでは使用が禁止されているピンを差していたのが原因らしく、国土交通省は口頭で厳重注意とした。
日航は昨年にも、同じ原因でボーイング777が逆噴射できないまま新千歳空港に着陸している。
という記事が8日に報道されたが、「日航機」「逆噴射」というキーワードで、ある事故を思い出す人も少なくなかったのではないかと思う。
今から20年以上も前の事故なので、人口的には3分の1以上の人は当然知っている羽田沖の日航機墜落事故のことである。
1982年(昭和57年)2月9日、午前8時47分頃、福岡発羽田行きの日航350便が、羽田空港の滑走路300メートル手前で突然失速、東京湾に墜落して乗客・乗員174人の内24人が死亡、150人が重軽傷を負ったというもの。
その後の警視庁捜査本部と運輸省事故調査委員会の調べによって、人為的、しかも故意による墜落であることが判明した。
事故機のK機長(当時35歳)は、着陸に向けて順調に降下していたが突然、副操縦士らの制止を振り切りエンジンの逆噴射レバーを操作するという「異常な操縦」を行った。
記録されたボイスレコーダにも、副操縦士が機長に向かって
「何をするんだ!止めてください」
と怒鳴った声が残されていたが、パイロットたちはいずれも軽傷で救助にきたボートに乗っているK機長の薄笑いが印象であった。
K機長は、1年前から体の不調を訴えて「心身症」「抑うつ状態」と診断されて静養し、前年11月から復帰したが、日航は運輸省に報告せず6ヶ月毎の機長資格更新身体検査でも「問題なし」と報告していたが、結局事故の後、K機長は「当時、精神状態が正常でなかった」として刑事責任は追及されなかった。
当事の漫才ブームにも乗って、不謹慎ながらも
「逆噴射」
とか
「機長、やめてください。」
とかいう言葉が流行語になってしまった。
ホテルの大火災として有名なニュージャパンの火災翌日の事故であったと当事の記録には残っている。
戦後の航空機事故を考えると日本航空の大事故が目について、全日空の事故と言えば1971年に雫石で自衛隊の戦闘機に衝突させられて墜落したのが最後で、これは全面的に自衛隊機に責任があったの。
羽田沖の事故の3年後、日航機は1985年、坂本九さん等乗客乗員520名が犠牲になった御巣鷹山墜落事故を起こしている。
確率的には、乗物の中で最も安全といわれる飛行機であるが、たった1人がおかしくなっただけで、100人を越える死傷者を出す飛行機はやはり怖いものがある。
今回の安全ロックピンを外し忘れ事故と羽田沖逆噴射事故が同時に発生していれば誰も死ななくて良かったと考えると少々不思議な気持ちである。
・・・おの・・・