
田舎から突然の大阪勤務だったので、最初はなんとも空気が悪いところだなぁというのが印象的だった。
折角の大阪だからと、通天閣や大阪城・海遊館など家族で遊びに行った。
田舎と較べたら大阪の道は複雑だ。
御堂筋・堺筋・松屋町筋・四ツ橋筋に中央通り・長堀通り・千日前通り・みなと通りなど道路に名前がついて覚えやすそうで中々覚えられない。
大阪や天王寺、難波、本町、谷町等、かなり前に神戸に住んでいた時にはせいぜい三宮と新神戸と元町くらいでよかった地名も沢山覚えないと仕事にならない。
そんな中、千日前という名前を聞いた時、なにか寂しい感覚を覚えたけど何故だか判らなかった。
そんな話もすっかり忘れていたある日、大阪で生活すればおのずから千日前の地名を口に出す事も多いが、寂しい感覚が千日前デパートの大火災であることに気づいた。
千日前デパートの火災とは、今から30年以上前の昭和47年(1972年)に死者118人という多くの犠牲者を出した火事である。
正確なデパートの名前は千日デパートというもので、ネットで調べると千日デパートは昭和33年(1958年)に開業したショッピングビル。
前身は昭和7年に完成した大阪歌舞伎座の建物で、これを改装し、地下1階から地上5階までが商業施設、6階は千日劇場と食堂、7階は大食堂、屋上には遊戯施設の陣容を誇るショッピングセンターとの事であった。
朝10時から夜10時まで営業。
「まいにちせんにち、千日デパート」
のコマーシャルソングで知られ、また昭和35年(1960年)設置された屋上観覧車は大阪名物となった。
デパートというものの、百貨店ではなく、ショッピングモール(専門店街)であった。
火災発生当時は
1~2階が専門店街形式で直営の『千日デパート』
3~4階はスーパー『ニチイ千日前店』
5階が100円均一ストア
6階がゲームコーナー(千日劇場跡)
7階がキャバレー『プレイタウン』
地下1階はお化け屋敷と喫茶店を組み合わせた『サタン』
となっており、同じ商業施設でも階毎に経営者が異なる雑居ビル状態だった。
5月13日午後10時27分頃、3階婦人服売り場より出火し、瞬く間に火は5階までを焼き尽くして15日の午後5時30分にやっと消し止められたが、多くの建材の燃焼による有毒ガスが充満し、避難設備の不備と従業員の不手際が重なって、死者118名・重軽傷者78名の大惨事となった。
出火原因は工事関係者のたばこの不始末といわれており、皮肉にも避難通路の役目を果たすはずの階段室が煙突の役目をし、有毒ガスを当時唯一夜間営業していた最上階のキャバレーに送り届けてしまった。
この時、キャバレー従業員はパニックに乗じて客が飲み逃げしないように、避難扉の外側から施錠したため被害が大きくなったと言われている。
逃げ場のなくなった客の多くはやむなく窓ガラスを割り、地上目掛けて飛び降りたが、助かったのは僅かで、結果的に飛び降りにより21名が死亡し被害を拡大させた。
また非常誘導路に当たる箇所に間仕切りが施され、事実上非常誘導路が機能しなかった事等、利益を優先する雑居ビルの欠陥を露呈させる事件となった。
同ビルは大阪有数の地価を誇る千日前交差点の角地に位置していたため、家主はこの時価に見合う賃料収入を確保すべく、多くのテナントを入れていており、全館の管理責任体制がかなり散漫となっていた。
大阪市消防局の資料によれば、118人の死者の全ては出火当事7階のキャバレーにいたと見られ、飛び降りて死亡した犠牲者以外は全員7階で発見されている。
犠牲者の内訳は女性が70人、男性が48人で、女性は従業員で男性の多くは客であろう。
ビル内で電気工事をしていた作業員が午後10時30分に火災に気づき、現場監督らと火災報知器を作動させるなどしたが、消防に連絡が入ったのが13分後で最初の消防車が現場に到着するのは発見から17分後であった。
更に違法駐車の自動車によりはしご車の設営に多くの時間を要する事となったが、どうにかはしご車は50人を無事救出している。
以前ブログに書いた犯人の母親の呼びかけが今でも耳に残る浅間山荘事件ほどではないが、千日デパートの火災も当事繰り返しの報道されたのであろう闇夜をオレンジに染めるビル火災の映像がうっすら思い出される。
当事は大火災だったが30年以上経った今でも、大阪での火災としては犠牲者規模でも2番目で、日本の大火災の歴史上でも非常に大きな火事として記録されている。
こんな大火災だが、翌年には同じく100人以上の犠牲者を出した熊本の大洋デパートの火災が、昭和57年(1982年)には日本中を震撼させたホテルニュージャパンの火災が発生している。
最近の大きな火災では、阪神淡路大震災の火災は別格として、神戸のテレホンクラブや雑貨店ドンキホーテの放火による火災が記憶に新しい。
凶悪犯罪を防ぐのは難しいが、火災による犠牲者を出さないようにするのは一人一人の注意等でかなりの部分防げると思う。
どんな大きな火災でも、最初の火はコップ一杯の水があれば消せる程度なのだし、消す事に失敗しても落ち着いた誘導や落ち着いた非難により、それぞれの人々が冷静に適切に行動すれば、かなり防げると思う。
建物の所有者も目先の費用をケチるのではなくて、適切な設備を設け適切に整備をし、適切に社員教育をすれば、もしかしたら10人以上の犠牲者を出すような火事は起こらないかもしれない。
ところで千日デパートの犠牲者は殆どが出入口や窓、部屋の隅や、更衣室など所謂端っこで発見されたが、男性の内1人だけは客室の中央で発見されている。
つまり逃げた形跡がないのである。
おそらく泥酔していたのだろうけど、消防の当事の資料を見ていると凄い人もいたものだと少々感心してしまう。
写真は火災前の千日デパートと消火活動中のデパートと現在の付近の様子である。
現在の様子は昨日の寒い日曜日のものだけど、
ビッグカメラ
と思っていたら
ビックカメラ
なんですねぇ~
勉強になりました。
今回のブログの参考にした大阪市消防局の資料のアドレスを貼り付けておきます。
先日当局の人とその話をしたら、火災も凄かったけど鎮火の後もしばらく通わされたよなぁ・・と懐かしそうに思い出していた。
寒さも本番となりました。
火の取り扱いには十分注意しましょう。
大阪市消防局千日デパート火災の資料
http://www.bousaihaku.com/bousaihaku2/images/exam/pdf/a077.pdf
私のホームページ
http://www.geocities.jp/ginbaeyokohama
完読ありがとうございました。 ・・・おの・・・