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正式な名前が HONDA DREAM CB750 FOUR というらしいこのバイク。
大型バイクの勢力図を塗り替えた革命児といわれ、その後国産の750(ナナハン)ブームを巻き起こす事になる。

60年代までの世界の大型スポーツバイクの市場は、英、独、伊、米などのメーカーが独占していた。
小~中排気量バイクの実績しかないHondaが新規参入するためには、既存の大型バイクを大きく凌駕するモデルを開発する必要があったとされる。
まずは並列2気筒DOHCエンジンのCB450('65年発売)が先兵になったが、高回転で出力を稼ぐという特性が北米市場などで嫌われ、欧米の大排気量車を乗り越えるには至らなかった。

次にHondaが用意した回答。それがドリームCB750フォア(以下CB750)である。
海外の大型バイクに引けを取らない巨大な車体や空冷4ストローク並列4気筒OHC・736ccのエンジンと誇らしげに伸びる4本のマフラー、世界初の油圧式ディスクブレーキ、67ps/8000rpm、最高速度200km/hという性能は、海外の大型バイクを完全に突き放す動力性能だった。
CB750は'69年4月からアメリカへの輸出を開始し高性能・高品質・低価格で年に6~8万台も売れる爆発的なヒットとなり、欧米メーカーを震撼させる。
日本国内では'69年8月に市販を開始され38万5000円という安価で販売された事から、やはり爆発的な人気を呼んだばかりでなく、大型バイクを象徴する“ナナハン”(750ccの意味)という流行語も誕生させた。

それに続けとばかり、71年にはスズキGT750やカワサキ・マッハ750SSが、72年にはヤマハTX750が、73年にはカワサキ750RS(通称Z2)が相次いで販売されナナハンブームが巻き起こる。
その一方で、暴走族の問題や、悲惨な事故の多発などがクローズアップされた結果、日本メーカーが国内市場で販売するバイクの最大排気量は、事実上750ccまでに制限されることになった。

カワサキZ1(900cc)が国内販売されず、750ccに排気量を落としたZ2が販売されたのはそのためである。
これくらい前のバイクになると私も直接見た記憶はないが、少年チャンピオン連載の「750(ナナハン)ライダー」の早川光や「ワイルドセブン」の飛葉ちゃんらが乗っていたのは微かに覚えている。写真左側がK0タイプと呼ばれる初期型で右側がK1タイプと呼ばれる2代目である。
先輩方がこんなバイクで社会問題を起こしてくれたお陰で、私達の時代は750には絶対乗れない時代になっていた。

このCB750シリーズは今でもモデルチェンジを行いながら販売されている。
当事のステータスでした4本マフラーは・・・

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