女性カメラマンのNさんといっしょにヤスさんの店に行くと、旅行雑誌の編集者で血統派のSさんが来ていた。
「おそろいだね。でも、いいこところにきたよ」
とヤスさん。
「今ね、Sさんのおみやげで味噌汁を作ったところだよ」
とヤスさんが続けた。
「おみやげって、何?」
と言って、Nさんが味噌汁の入ったお椀を覗いた。
「揚げ玉を天ぷら屋さんでもらってきたんでね」
とSさん。今日は渋谷の「天松」に行ってきたらしい。
「天松はあちこちにあるけど、渋谷が本店だよ」
とSさんが続けた。
「油がいいので、揚げ玉もおいしい。帰る時に袋に入れてサービスしてくれるんだ」
とSさん。
「見た目もちがうね。とてもきれいだもん」
とNさん。
「ヤスさん、わたしにもお願いね」
とNさんが言うと、
「最近、声がやさしくなったように思うけど、何かあった?」
とヤスさんがNさんに訊いた。その顔はニヤニヤしている。
「何も。ねえ?」
とNさんが僕の顔を見て言った。確かに少し変わったかもしれない。日曜日の晩からだ。
「今週は京都牝馬Sか。ヒカルアマランサスとブロードストリートが出るから楽しみだね」
とSさんがNさんに言った。Nさんはアグネスタキオンの熱烈なファンで、タキオン産駒が出走するレースは馬券を勝って応援する。
「豊は何に乗ってる?」
とヤスさんが訊いた。
「武は騎乗停止中だから、今週はないね。前走まで乗っていたアプリコットフィズも安勝に乗り替わっている」
と僕が応えた。
「騎乗停止もあるど、豊は落馬してケガをして以来、乗鞍をセーブしているという話と、騎乗依頼が減っているという話と両方あるね」
とSさん。落馬の事故があのザタイキだったので、ヤスさんもNさんも他人事には聞こえない。
「ちょっと前までは、豊が乗るというだけで、オッズが下がったもんだけどな」
とヤスさんがしんみりとした声で言った。
「その分、増えているのは外国人騎手だけどね」
と僕が言うと、
「それが気に入らないと言うんだ」
とヤスさん。
「若手に回るなら許せるし、若手も伸びるだろうけど、外国人騎手に行ったら何にもならない」
とヤスさんの怒りは収まらない。
「オッズといえば、昔は武豊だったけど、今はPOGだね」
とSさん。2歳や3歳戦では、一口馬主の馬やPOGの指名の多い馬は異常な人気になっているという。
「特に前日売りや当日の朝まではひどいね」
とSさんが続けた。能力や状態と関係なく、指名馬の単勝馬券を買う人間が多いので、本当の人気が見分けられないらしい。
「確かに、直前になってから急にオッズが変わることが多いね」
と僕が言った。
「当日の馬体重が出て、パドックが終わる頃になって、オッズが変わるんだ」
とSさん。
「今は、そのオッズを見ないと馬券は買えないね」
とSさんが続けた。
「ディープの仔は特にそうだよね」
と僕が言うと、
「あれも異常だったけど、最近は少し落ち着いてきたね」
とSさん。
「じゃあ、どうすればいいの?」
とNさん。今日はいつもとちがっておとなしい。それも日曜日の晩のせいかもしれない。
「オッズの動きをよく見ることだね」
とSさん。ディープの仔やPOGの指名の多い馬で、直前になってオッズが上がる馬は危険だと言う。
「逆もあるね。特に地味な血統の馬で、直前になってオッズが下がる馬は買いだね」
とSさんが続けた。
「なるほど。じゃあ、そんな馬をタキオンの仔の相手に選べばいいのね」
とNさん。
「もうひとつは社台系の牧場の生産馬だね」
とSさん。社台ファームやノーザンファームの生産馬ということで人気になる場合も多いらしい。
「でも、それは無視しない方がいいね。こちらも少し地味な血統の馬の方に妙味がある」
とSさんが続けた。
「あなた、わかった?」
とNさんが僕に言った。今日はやたらとからだに触ったりしないが、自分のからだをぴったりと僕に寄せている。
「うん、わかった、ような気がするけど…」
と僕が応えると、
「頼りないなあ。しっかりして!」
とNさんが言い、僕の肩に頭をぶつけてきた。
「Nさん、あんたがしっかりしないとだめさ」
とヤスさんが目を細くして笑いながら言った。
「おれは、パドックでよそ見をしたり、体重がズンと増えたりしている馬が好きだけどね」
とヤスさんが続けた。
「人間もそうだけど、馬だってみんなちがう。パドックの解説者は自分の好きなタイプを言うだけさ」
とヤスさん。
「それも確かだよね。パドックの解説とはまったく違う売れ方をすることがよくあるよ」
と僕が言った。
「結論ね。早い時間の人気とパドックの解説は無視して、オッズの動きを見て買う。これでいいのね?」
とNさん。
「うん。それでいいと思うよ」
とSさん。
「それじゃあ、今週はその練習ね」
とNさんが僕に言った。
「練習することがいっぱいあっていいね」
とヤスさんが僕とNさんの顔を見て笑いながら言った。確かにそうだ。今日もこれから別の練習が始まるかもしれない。
(つづく)