久しぶりに自動車会社のエンジニアでデータ派のTさんが店に顔を出した。
「これ、おみやげです」
と言って、Tさんがヤスさんに紙の包みを渡した。
「稚加榮の明太子だね。こりゃあ、最高だ」
とヤスさん。おにぎり屋のヤスさんは明太子にはかなりうるさい。
「福岡に出張したので、稚加榮でお昼を食べてきました」
とTさん。稚加榮は博多の老舗料亭で、店の中央に大きな生簀とカウンター席がある。明太子が名物で、明太子を使ったいろいろな料理があるが、店頭で販売もしている。
「ふだんは、駅か空港で切り子を買ってくるんですが、ヤスさんに話を聞いていたので、今回は特別に稚加榮の明太子にしました」
とTさん。稚加榮の明太子は、辛さは控えめで独特の甘さがある、とヤスさんが言っていたらしい。
「そのままがいいかい? それとも、おにぎりがいいかい?」
とヤスさんがTさんと僕に訊いた。
「まずは、そのままいただきましょうか」
とTさんが僕に向かって言った。僕にも異存はない。
ヤスさんのお薦めで、辛口の日本酒を温燗にし、稚加榮の明太子を味わっていると、旅行雑誌の編集者で血統派のSさんと女性カメラマンのNさんが一緒に店にやってきた。
「いやあ、店の前で会ってね」
とSさんが僕に言い訳をするように言った。
「ちがうのよ。今日はSさんにカピオラニパレスの相手を教えてもらおうと思って、時間を合わせてもらったの」
とNさんがいつものように僕の隣の席に座りながら続けて言った。
「何を食べてるの?」
とNさんが僕の方にからだをぴったりと寄せながら訊いた。
「Nさんも食べるかい? Tさんのおみやげだよ」
とヤスさん。
「明太子でしょう? 大好きなの!」
とNさん。と同時に僕の明太子を手でつまんで食べてしまった。
「おいしい! 博多の明太子でしょ、これ?」
とNさんがTさんに訊いた。
最近、福岡近辺には自動車関係の会社や工場が増えており、これからは福岡に出張する機会が増えるという話を、NさんはTさんから聞いていたようだ。
「馬も明太子を食べるのかしら?」
とNさんがボソッと言った。
「なぜ? ふつうは食べないと思うけど…」
と僕が応えた。
「小倉帰りの馬が大活躍しているって、Sさんから聞いたので、なぜかなと思って…」
とNさん。正月明けの福寿草特別を勝ったコスモヘイガーと、先週の京成杯で2着に健闘したデボネアのことを言っているらしい。
「なぜだろうね。今週の若駒Sにも小倉の新馬戦で勝ったロッカヴェラーノが登録していたので、注目していたけど、出馬表には名前がなかったね」
と僕が言った。
「そうなの。わたしもSさんからその話を聞いて、カピオラニパレスの相手にしようと思っていたの」
とNさん。
Nさんはアグネスタキオンの熱烈なファンで、シンザン記念はレッドデイヴィスが勝ち、京成杯はデボネアが2着に入ったので、その勢いで、今週は若駒Sのカピオラニパレスということらしい。
「カピオラニパレスか。柳の下のどじょうもニ匹まで、と言うからなあ」
と僕が言うと、
「ニ度あることは三度ある、とも言うでしょう」
とNさんが僕の明太子をまた手でつまみながら言った。
「でも、いいのよ、あなたには聞かないから」
とNさん。先週の京成杯で僕が推奨したフェイトフルウォーがNさんのデボネアにハナ差で勝ってしまったことをまだ恨んでいるらしい。
「だから、今日はあなたも一緒にSさんの話を聞いて」
とNさんが言って、僕の手をつかんで自分の内股に挟み込んだ。そこはいつものように温かく、柔らかい。
「カピオラニパレスはハシッテホシーノの全弟だから、距離適性はあるよ」
とSさんがNさんに言った。
ハシッテホシーノは一昨年のオークスに出走し、8着に入着した。巨乳タレントのほしのあきが命名したことで話題になった馬だ。
「そうなのよ。名前はあまり気に入らなかったけど、タキオンの仔だから応援はしたの」
とNさん。胸の大きさならNさんも負けていない。お尻はもっと大きいけどね、といつもNさんが言っていた。
「それに母父がHighest Honorで、レーヴディソールと同じ配合なのも魅力だね」
とSさんが続けた。ハシッテホシーノは鹿毛だったが、カピオラニパレスはレーヴディソールと同じ芦毛だ。
「相手はやっぱりリベルタスとショウナンマイティかしら?」
とNさんが出馬表を見ながら言った。
「たぶん、リベルタスが1番人気になると思うけど、ディープインパクトの仔は3歳になってからもうひとつですね」
とTさん。シンザン記念も京成杯もディープインパクトの産駒が1番人気になりながら期待を裏切っている。
「そうなんだ。その理由をいろいろと考えてみたけどね」
とSさんが言った。
(つづく)