P.S.元気です、 jukucho -4ページ目

竹内力(1964年)


竹内力

たけうち りき俳優タレント歌手である。本名は、漢字表記は同じだが「たけうち ちから」と読む。大分県佐伯市出身。

大分県立佐伯豊南高等学校卒業。高校時代はサッカー部に所属する。1985年RIKIプロジェクトに所属する。1986年、映画『彼のオートバイ、彼女の島』で俳優デビュー。俳優になる前は三和銀行淡路支店の銀行員だった。身長180cm血液型A型。双子の弟、RIKIがいるらしいが定かでない。

哀川翔清水健太郎らと共にVシネマの帝王と呼ばれ、現在は「難波金融伝・ミナミの帝王」の萬田銀次郎役や「カオルちゃん最強伝説」シリーズの村山カオル役がハマリ役として大活躍している。ただ、竹内自身は元々大分県出身で関西弁は話せなかったため、シリーズ初期は関西弁にえらく苦労した、とのこと。哀川をVシネ界の東の横綱、竹内を西の横綱とする事もあるが実際には二人とも九州男児である。

自身がデザインを勤めるファッションブランド「RIKI TAKEUCHI」を持つ。映画にも使用するスーツをメインとしたスタイルである。

出演作品

映画

他多数

テレビドラマ

ビデオ作品

他多数


以上、Wikipediaより。

他には、子門真人(歌手)、宮本亜門(演出家)。

自分は「ちから」って読んでました。トレンディドラマによく出てましたよね。。。
天までとどけは知らなかったけど・・・

吉田栄作(1969年)


吉田栄作

神奈川県秦野市出身の俳優歌手。所属事務所ワタナベエンターテインメント矢沢永吉浜田省吾を尊敬している。 妻はモデルの平子理沙

1988年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でのグランプリ獲得がきっかけとなり、映画『ガラスの中の少女』でスクリーン・デビュー。阿部寛風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリだった。当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年、当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わす『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ。吉田らが俳優としても成功を収めたことで、モデル上がりは顔だけで中身が無い、と言われる事なく、多くの後続が続いた。なお現在隆盛を極めているモデル上がりの女優、女性タレントはこの頃はまだ存在しなかった。吉田らの成功は、演技力は別として男女タレントのルックスを大きく向上させたといえる。

1989年に『どうにかなるさ~Chasing My Dream』で歌手としてもデビュー。1990年1991年紅白歌合戦出場。(1990年は『心の旅』、1991年は『もしも君じゃなきゃ』を歌唱)

1990年代は加勢大周織田裕二と3人で「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれ、吉田は長男格であった。しかし、あまりにも自尊心の高さをアピールする芸風が一時一人歩きし、1995年に芸能界を一時期休業。役者修業のため渡米。この時期にモデルの平子理沙と結婚した事にかこつけて「ヒモ」と揶揄する芸能マスコミが多かった。

1998年に帰国後、ドラマ『流通戦争』(NHK系)で国内での俳優業に復帰。その後、『マネーの虎』(NTV)の司会者として人気を博する。以来、精力的にテレビドラマや新国立劇場での舞台演劇等に出演し、優れた演技で高い評価を得る。

  • 若い時はツッパリで有名。ナベプロに入っても先輩中山秀征と口もきかなかったが、たまたま飛行機で一緒になり、矢沢永吉が好きという話で意気投合。しかしどっちが好きか、で言い合いになりお互い譲らなかったが、「これでもか」と吉田が矢沢永吉著「成りあがり」をポケットから取り出した。余談であるがアメリカに俳優の修行をしにいくときに「俺は絶対ジャンボになってやる」と言った事がある。
  • 「ビッグになる」と秦野から上京したが、東京は近すぎたので、その先江東区あたりで部屋を探した。ところが思ったより家賃が高かったので先の方まで行き、結局江戸川区平井に住むことにした。東京の端っこの方で、サクセスストーリー第1章には申し分無いと感じたらしい。
  • 笑っていいとも』初出演の時は浜省の話を披露した。一番好きな曲が「マネー」で、この曲の後半部分の一節「最高の女とベッドでドン・ペリニヨン (Dom Perignon)」と歌う所が特に好きで、今でこそ最高級シャンパン、ドンペリと言えばよく知られているが、当時はあまり知られていなかったため、ドン・ペリニヨンとは女とやらしいことをする、という意味だと思っていた。ビッグになって金を掴んだら「女とドン・ペリニヨンする」のが目標だったらしい。
  • デビューからまもなく大ブレイクした年にベストジーニスト賞を受賞。感想を求められ、「受賞出来ると思ってました。来年は加勢大周くんにあげてください」とコメント。とにかく強気で自尊心が強く、ドッキリ番組(自転車でトレーニング中に〝無免許〟で検挙されるという仕掛け)で馬鹿にされたことに怒り、テレビ番組と分かった後も二コリともせず走り去ったことがある。
  • 一時期の吉田栄作の有名度を示すエピソードがある。「とんねるずのオールナイトニッポン」というラジオ番組に「どうしてお前はそんなに熱いんだ!」というコーナーがあった。リスナーが吉田の本当の発言やリスナーが創作した吉田の発言を評論するもので、最後は「おい、栄作~(命令形)」で終わる葉書が多く、最後に吉田を誹謗中傷するものが多かった。現在でも押尾学をネタ元に変えた「お塩語録」という類似したネット上を中心としたジョークがある。
  • 芸能活動一時休止以前は、「俺はアーティスト」と自らを総合的な芸術家と考えているコメントが多かった。
  • 帰国後は、実力派の俳優として地に足の着いた活動を続けており、『亡国のイージス』などでは演技力を評価する声も多い。
  • マネーの虎』ではナレーションで毎回のように「無類の○○好き」と呼ばれていたが、これは明らかに事実でないものも多く、一種の「お約束」のギャグである。

以上、Wikipediaより。

他には、岩下志麻(女優)、高瀬春奈(女優)、小堺一機(タレント)、メル・ギブソン(俳優)、ダンカン(たけし軍団)、山崎浩子(元新体操選手 )、柳葉敏郎(俳優)、若村麻由美(女優)、ミハエル・シューマッハ(元F1レーサー)、長井秀和(タレント)、川越美和(女優)、小沢真珠(女優)。

アメリカ進出は失敗でしたが、最近も頑張ってますね。。。

古谷一行(1944年)


古谷一行

東京都出身の俳優東京都立板橋高等学校中央大学法学部卒。血液型O型。身長170cmフロム・ファーストプロダクション所属。

俳優座の研修生から俳優生活を始める。以来、舞台のみならず映画・テレビでも活躍する。

長男にDragon Ash降谷建志がいる。Dragon Ashのアルバム『Viva la revolution』のTVCF、また古谷が主演・プロデュースを務めた映画『手紙』(2003年作品)では父子共演を果たした。

売れ出したのは30歳を過ぎてからの遅咲きだったが、その後はいくつもの人気テレビドラマの主演をこなすなど代表作が多い。その中で強いて一つをあげるとすれば、1977年からTBSで毎年放映されていた『横溝正史シリーズ』であろう。金田一耕助役を現在まで一貫して古谷が演じ続けている作品で、もはやライフワークといっても過言ではない。原作の横溝正史をして金田一耕助を演ずる古谷を、金田一役のイメージに一番ピッタリだと言わしめた。

テレビドラマ

映画

  • 新選組(1969年)
  • 富士山頂(1970年)
  • 金田一耕助の冒険(1979年)
  • ジャズ大名(1986年)
  • 宣戦布告(2002年)
  • 手紙(2003年)

以上、Wikipediaより。

他には、天本英世(俳優)、野村昭子(女優)、森村誠一(作家)、津川雅彦(俳優)、小坂明子(シンガーソングライター)、浦沢直樹(マンガ家)、竹野内豊(俳優)、さとう珠緒(タレント)。

う~ん、金田一ですかねぇ、やっぱり。。。

役所広司(1956年)


役所広司

長崎県 諫早市 出身の日本俳優 。本名は橋本 広司(はしもと こうじ)。現代の日本映画 を代表する俳優である。

ワイ・ケイ事務所 所属。身長 179センチ 。俳優・仲代達矢主催の無名塾出身


公務員から俳優へ

長崎県大村市長崎県立大村工業高等学校 卒業後、上京して千代田区 役所 土木工事課に勤務。友人に連れられて観劇した仲代達矢 主演の舞台公演『どん底 』に感銘を受け俳優への道を志す。200倍もの難関である仲代主催の劇団「無名塾 」の試験を通過し入団。この年の合格者は役所だけであった。芸名は、役所の前職からヒントを得たことに加え「役どころが広くなる」ことを祈念して仲代が命名。


デビュー後の活躍

当初は所属する無名塾 の舞台公演やテレビドラマ の男優として仕事をし、主に時代劇 で評価を得ていた。1983年 のNHK大河ドラマ徳川家康 』の織田信長 役で注目を集め、翌1984年のNHK新大型時代劇宮本武蔵 』の主人公・武蔵 役で初めて主演に抜擢され、好評を得る。民放の時代劇作品では、『三匹が斬る! 』シリーズなどが代表作。

映画では、伊丹十三 監督作品の『タンポポ 』などに出演。1988年 の日本・スイス 合作映画『アナザー・ウェイ ―D機関情報― 』(西村京太郎 の小説『D機関情報 』の映画化作品。山下耕作 監督作品)の主人公・関谷海軍中佐役で映画初主演を果たす。『オーロラの下で』で初めて日本アカデミー賞 の優秀主演男優賞を獲得する。95年、『KAMIKAZE TAXI』(原田眞人監督)で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。 後にインタビューで「この賞が一番嬉しかった。」と語る。

この頃、役所が主演するドラマや映画は評価は高いもののヒットには恵まれず、制作発表の記者会見では「低視聴率男です」と自らネタにして笑いをとっていた。


作品の大ヒットから地位確立まで

1996年 公開の『Shall we ダンス? 』が大ヒット。さらに、『シャブ極道 』(細野辰興 監督作品)、『眠る男 』(小栗康平 監督作品)の演技が絶賛され、その年度の主演男優賞を総ざらいする。1997年の『失楽園 』も大ヒット。今村昌平 監督の映画『うなぎ 』が1997年にカンヌ国際映画祭 でパルム・ドールを受賞すると、この2年で20以上の映画賞を獲得。(今村とは、今村の遺作『赤い橋の下のぬるい水 』でも共演)以後、今村はもとより、黒沢清青山真治 等の日本を代表する著名な監督の映画へ出演し、幅広い活躍をする。東京国際映画祭 での主演男優賞受賞、1996年から7年連続で日本アカデミー賞 の優秀主演男優賞を受賞するなど、毎年の映画祭でその名前を挙げられないことはないほど名実共に、日本を代表する映画俳優となった。


世界進出

2005年 にはアジアを代表する俳優、ハリウッドを牽引するスタッフが集結したことで話題を呼んだ『SAYURI 』に参加。また、2006年カンヌ国際映画祭 にで監督賞を受賞した『バベル 』では、ブラッド・ピット と共演。2007年 には日米伊合作映画『シルク 』に中谷美紀 、キーラ・ナイトレイとも共演。シカゴ国際映画祭主演男優賞、アジア太平洋映画祭主演男優賞、ゴッサム賞アンサンブル演技賞、東京国際映画祭主演男優賞、パームスプリング国際映画祭アンサンブル演技賞、サンディエゴ映画批評家協会アンサンブル演技賞、アメリカ俳優組合賞ノミネートなど海外でもその高い演技力に対し賞が贈られている。インタビューなどで「いい作品があれば、海外のものにも出たいが日本映画で認められたい。」と語っている。


その他

  • 映画での活躍が目立つにつれテレビドラマの出演はまれになったが、日本テレビ系列 で放送中の『東京日和 』とテレビ東京系列 で放送中の『日経スペシャル ガイアの夜明け 』では進行役を務めている。
  • 1980年代 前半に発表されていた一部資料の生年月日と差異があるがミスプリントであると思われる(ノート参照)。
  • イメージキャラクターを10年以上務めた名古屋の紳士服量販店(トリイ)がメンズプラザアオキ に買収された際に、そのままイメージキャラクターを続けることになりアオキのCMに出演している。
  • 1980年NHK 連続テレビ小説なっちゃんの写真館 』でテレビデビュー。仲代達矢 の教えである「自分以外の台詞であっても台本は全て覚えなさい」を実践していたために、出演者がリハーサルに来れない時や急病人が出た際の代役として重宝される。この姿勢がNHKのスタッフに気に入られ、番組開始直後は通行人役であったのに終了前は主人公家族と懇意にする海軍軍人として役名と台詞を得た。番組終了後もNHKから声がかかるようになり、1983年NHK 大河ドラマ徳川家康 』の織田信長 役に抜擢される。


以上、Wikipediaより。

他には、長門勇 (俳優)、児玉清 (司会者)、倉本聰 (脚本家)、沢田亜矢子 (女優)、Mr.マリック (マジシャン)、夢枕獏 (小説家)、大友康平ハウンド・ドッグ ボーカル )、ジミー大西 (タレント)、増田明美 (マラソン選手)、庄司智春品川庄司 )、堂本光一KinKi Kids )。

やっぱり、『Shall we ダンス? 』でブレイクした感じがします。。。

大黒摩季(1969年)


大黒摩季

北海道札幌市中央区出身のシンガーソングライターサニーサイドアップ所属。藤女子高等学校卒業。実家は札幌キムラヤ(製パン業)。

  • 発表した多くの楽曲の中で「恋愛における人間(特に女性)の本音」を見事に歌い上げており、近年は特に女性ファンが多い。
  • マニッシュな歌唱スタイル・ファッションと、ロック色の強い曲構成とは裏腹に、献身的・自己犠牲的とも取れる女性の繊細な心理を歌い上げる絶妙なバランスが評価を得ており、男女ともにファン層は厚い。
  • 藤原紀香工藤静香神田うのと親交がある。
  • プロポーズをされた時は即答せず返事を保留し、その後のデート中に「年貢の納め時かな」と呟いた大黒に「年貢はね、蔵が開いているうちに納めないと、ただの古米になりますから」と返された言葉に「ヤルな!」と感動し結婚を決意したという。
  • 1並びとなる11月11日11時11分に区役所に婚姻届けを提出しようとしたが、2人とも寝坊してしまい同日の午後1時11分に提出した。
  • 結婚報告の際に夫を「音楽業界とはほど遠い世界に住み、飾り気のないスーツを着た王子様」と称した。

[編集] 来歴

1989年にオーディション(第3回BADオーディション)に合格。その後、B'zZARDTUBE松本孝弘T-BOLANDEEN織田哲郎などのビーイング系アーティストのコーラスを担当する。

1990年には安宅美春(後にKIX-Sを結成)のギターソロアルバム「孤独のRUNAWAY」にゲストボーカルとして参加し(当時の表記は大黒摩紀)、山下久美子の「WHY?」「LOVE & PEACE」「BIBBIDI,BOBBIDI,BOO」をカバーしている。1991年にCM NETWORKの一員として「GO!GO!貴花田」という曲を歌っている。

歌手デビューが中々できなかったために、会社を辞めてアメリカへ旅に出たことがある。その後、社長から滞在先に電話をかけられ、歌手デビューの話が進んでいたため帰国する。

1992年、『STOP MOTION』でデビュー。2ndシングル『DA・KA・RA』がミリオンヒットを記録し、日本レコード大賞「新人賞」受賞。以降、『チョット』、『あなただけ見つめてる』、『夏が来る』、『ら・ら・ら』、『熱くなれ』等のヒット曲を出す。デビュー後数年は露出を控え、メディア出演やライブ活動をすることはなかった。そのため、「大黒摩季は歌手担当、写真で顔を出すモデル担当、作詞・作曲担当とそれぞれ三人いる」、「大黒摩季はコンピューターで作られたもので、本人は実在しない」という都市伝説まで存在した(同様にZARDのボーカリスト・坂井泉水小松未歩の存在が挙げられる)。

数少ないテレビ出演としては、デビュー前の1992年5月17日フジテレビミュージックフェア」において、テレビ初出演をしている。B'zと近藤房之助坪倉唯子が昔の名曲を歌う企画のコーラス参加だが、歌う前に大黒はB'zらと横一線に並び、司会に名前を紹介されていた。また1996年に『熱くなれ』がNHKアトランタオリンピック中継テーマソングとなった関係から、同局の『サンデースポーツ』に出演しインタビューに答えているほか、1996年6月1日には当時ビーイングスポンサーについていたテレビ番組「ROX」(関西テレビ)の第一回で特集され、アマチュア時代の思い出を語るなどインタビューに応じている。

知名度が出てきた後で、初めて本格的にファンの前に直接姿を現したのは初のソロライブ『LIVE NATURE#0~Nice to meet you~』であった。1997年8月1日にレインボースクエア有明特設ステージで4万7000人を観客の前で行われ、このライブの一部は「ミュージックステーション」で生中継された(大黒摩季 LIVE BEATsに一部収録されている)。以降、全国ツアーを開催する。

実はその前にもステージに立ち姿を現していたことがある。1990年5月に横浜バードで行われた近藤房之助小島良喜のライブにゲストボーカルとして参加。1996年2月と3月には大阪心斎橋にあるグランカフェで行われていたサンデーブルースLIVEクンチョーのステージに飛び入りゲストとし参加している。その他にも「大黒摩季」個人として、1996年9月21、22日に札幌で行われた「ゆうあいピック北海道大会」に、大会テーマソングとして当時は未発表だった「風になれ」(のちにアルバム「POWER OF DREAMS」収録)を提供した縁で、大会閉幕後に選手や大会役員、スタッフなどを招いて行われた後夜祭にサプライズ登場しミニLIVEを行ったことがある。

1999年、全国ツアー『LIVE NATURE #3』を開催。夏にはツアーファイナルとなるスペシャルライブを千葉マリンスタジアムで敢行。12月31日奈良東大寺で開催されたカウントダウンライブで充電休養を宣言。2001年にはビーイングを脱退し古巣であった東芝EMIにレコード会社を移籍して活動再開(その結果[要出典]ビーイング側のCDで、作詞に「ビーイングスタッフ」と付けられてしまった)。8月8日に復帰第一弾シングル『虹ヲコエテ』を発表。

2003年、アルバム『RHYTHM BLACK』を引っさげて、全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.3』を開催。11月11日、友人の紹介で知り合った会社員と入籍。初対面の際、男性は大黒のことを知らず、「アーティスト?画家ですか」と答えたと大黒は語っている。

2004年武部聡志土屋公平真矢恩田快人らとコピーバンド“大黒摩季とフレンズ”を結成。80年代の名曲をコピーしたアルバム『COPY BAND GENERATION VOL.1』を発表。シングル『ASAHI~SHINE&GROOVE~』がアテネ五輪ホッケー女子日本代表オフィシャルサポートソングに起用される。この曲は大黒が偶然見ていたテレビ番組に出演していたホッケー女子日本代表の選手が話していた女子ホッケーの現状を聞き、自分の下積み時代の姿と重なり何か出来ないかと思い作られたもの。出来上がった時には代表チームの合宿地へ訪問して聴いてもらったとのこと。

2005年、2年ぶりの新作『HAPPINESS』を発表し、7月15日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.4』を開催。12月には初となる日本武道館単独ライブを行う。同31日、ナガシマスパーランド(三重県)にてカウントダウンライブを行なう。

2006年、初のバラードシングル『胡蝶の夢』がCX系昼ドラ「新・風のロンド」主題歌に起用される。3月にはバラードベストアルバム『weep』を発表する。5月15日ワールドカップ選手発表に伴って、FWに選出された大黒将志選手と巻誠一郎選手(二人合わせて大黒摩季(巻)だから)、友人の中田英寿選手にエールを送った。ちなみに大黒巻の共演は実現しなかった。10月20日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.5 ?デビュー15周年前倒し企画・わりと津々浦々お客様大感謝TOUR “ダイブ見せますMaki Best”+?』を開催。

2007年4月9日、北海道立校としては初の「中高一貫校」として誕生した登別明日(のぼりべつあけび)中等教育校の開校式にサプライズゲストとして登場。ノーギャラで作詞作曲を手がけた同校の校歌「明日(あけび)の空に」を生で披露し、新入生たちを驚かせた。 4月18日にシングル『コレデイイノ?!/恋の悪魔-She's no Angel-』を発表。『コレデイイノ?!』は前出の『Live BOMB!LEVEL.5』ツアーで披露され、観客と共に踊れる振り付けが施されており楽しめるナンバーになっている。大黒曰く今時のイイ言葉はないかと考えて辿り着いたものが『コレデイイノ』と云う言葉であり、「これでいいの?」に「コレデイイノ!」と大黒流の背中を押すエールの言葉となっている。 5月24日、東京青年会議所2016年東京オリンピックを望む学生の会が開催するイベント、「オリンピックを東京に2016!」にて、無料ライブを開催。オリンピックへの市民ムーブメントを盛り上げた。 5月25日、夕張市において2万本のサクラモミジを植え、地域再生を図る「しあわせの桜ともみじ」プロジェクトがスタートし、同市内の石炭の歴史公園内で記念植樹会に参加。新曲「桜ごころ」を初披露した。10月、大黒摩季とフレンズを再結成し、青春ロックライブハウスツアーを開催。年末にはANAインターコンチネンタルホテル東京他で初のディナーショーを開催した。

同年5月27日に40歳の若さで亡くなったZARD・坂井泉水の6月26日の音楽葬に参列。その後大黒は記者陣に対して、終始泣き崩れながらも「心遣いが素敵な女性でした」等とコメントを語っていた。

2008年2月9日より全国ツアー『MAKI OHGURO Live Bomb! Level.6 15th Anniversary Final Tour~ありがとう!そして…POSITIVE SPIRAL~』(全21公演)を開催する。


以上、Wikipediaより。

他には、高樹澪(女優)、俵万智(歌人)、KONISHIKIタレント・元大相撲力士)、江口洋介(俳優)、東貴博Take2)、中越典子(女優)、村主章枝(フィギュアスケート)。

結婚しているとは知りませんでした。。。

それではみなさん、よいお年を!

岡田監督就任の舞台裏では仰天シナリオが!(妄想です)

これは一週間ほど前に書いた内容です。。。


新生・岡田ジャパン(笑)がいつの間にか代表候補を呼んで合宿してますが、以前のように熱心にニュースが見れません(笑)

W杯3位以内を目指すとか言ってるし・・・浦和じゃないんだからさぁ。


今回一番気になったのは、川渕会長が言った、「この人(岡ちゃん)しかいないと思った」っていうセリフ。

まぁ、オシムさんの時もその場凌ぎのように感じたけど、今回もそんな感をぬぐえない。。。


誰も疑問に持っていないようだけど、自分が一番ツッコみたいのは・・・もし、最終予選とかでコケそうになったらどうするの?っていうこと。この人しかいないとか言っておきながら。。。

フランスW杯予選の逆パターンになるとすれば、コーチ陣の中からっていうことになるけど、大熊さん、小倉さん、加藤さん(GKコーチ)、あと大木さんから選ぶのだろうか・・・


で、ここからは自分の妄想ですが、実は岡田監督と協会には密約があるんじゃないかと。

それは・・・オシムさんが健康上問題なくなったら監督復帰する、というもの。

キレイに引き継げれば、予選突破後に交代。途中でコケそうになったらそこで交代か。

ただし、健康上OKということが条件ですが・・・


こう考えれば、現在の日本代表にも別の視点で注目できると思いますよ。

個人的には、最終予選でコケそうになるのを期待してます(笑)

正直、オシムさんが監督でも予選突破はキビしいって思ってましたから・・・

特に、ジーコジャパンで騙されたって思った方、過度な期待はしない方が・・・(笑)


最後にマジメなハナシを。

岡田ジャパンがオシムジャパンより退化するかどうかはズバリ、DFを1人余らせるかどうかにあります。

これをゲーム序盤からやったとしたら、それはジーコジャパンに戻ったことになりますから。。。

オシムさんはきっと失望するでしょうね。。。


どうでしょう?最近のニュースを見ると、あながちありえないハナシでもないような気がします。


来月でこのテーマも消滅します。

最後にみなさんの思いを書いて盛り上がったらいいですね。。。


それでは、よいお年を。

そして、オシムさんの早期回復を!

浜田省吾(1951年)


浜田省吾

広島県竹原市出身の日本のシンガーソングライターロックミュージシャンO型広島県立呉三津田高校(野球部所属)卒業、神奈川大学法学部中退。

1975年愛奴のメンバー(ドラムス)としてプロ・デビュー。デビュー時からサングラスがトレードマーク。1976年にソロ・デビュー。メディア露出が極端に少ないものの、地道なライブ活動によって確実にファンを獲得。デビュー後数年間は、事務所からの方針により自らが目指す方向性を屈折させられ逡巡していた。その為、初期の頃は自分の生き方そのものへの懐疑を投げかけた楽曲が多く存在する。一般的に認知されているバラード楽曲の他にも父親の被爆体験から、日本や戦争を歌った楽曲も数多く存在し、いわゆるビッグネームの中では最もプロテスト色の強いアーティストである。また、ロック=英語という既成概念に疑問をもち、日本語による歌詞や歌唱にこだわった。このことは、以降のミュージシャンにも少なからず影響を与えた。

山口百恵和田アキ子能瀬慶子甲斐よしひろ松田優作時任三郎吉田栄作等に楽曲を提供している。 愛称は「浜省(ハマショー)」または「省吾」。


以上、Wikipediaより。

他には、桜金造(タレント)、岸本加世子(女優)、越前屋俵太(タレント)、鶴見辰吾(俳優)、加勢大周(タレント)、押切もえファッションモデル)、荒川静香(フィギュアスケート)。

昔は相当ハマりました。。。

藤山直美(1958年)


藤山直美

本名:稲垣直子(いながきなおこ)、大阪府大阪市生まれ、京都府京都市山科区出身の女優。京都女子高等学校卒業。血液型O型。

実父は喜劇俳優で松竹新喜劇で活躍した藤山寛美1962年(昭和37年)、NHKのテレビ番組「桂春団治」で実父との親子共演でデビュー。5人姉妹(註:長姉・次姉は母の連れ子で、直美(三女)・四女・五女が寛美の実子)で唯一父と同じ道を歩み、以後舞台を中心に活躍する。最近では中村勘三郎波乃久里子柄本明らと共演することが多い。

1992年平成4年)に放送された連続テレビ小説おんなは度胸での名脇役ぶりで全国区になる。またドラマ新銀河で放送された「この指止まれ!!」シリーズでも主演。また、2000年(平成12年)公開の映画「顔」では主人公を演じ、その演技が評価され毎日映画コンクールをはじめとする映画賞を数多く受賞した。「志村けんのバカ殿様」にバカ殿の妹として出演したことがある(志村けんが藤山の特番にゲスト出演した際に「バカ殿の妹役で出して」と懇願したことから実現した)。

過去には女性誌に歌手でタレントのやしきたかじんと結婚以上の仲であると報道されたことがある。結婚などの事実はないが、実際、たかじんの大ファンであり、舞台でもよくたかじんの歌を歌う。特番等でたかじんとの共演も多く、プライベートでも12時間以上の長電話をするなど、現在でもふたりの相性が抜群によいことが伺われる。

プロ野球では大の王貞治ファンとして知られ、著名人ではおすぎ草野マサムネと並ぶ福岡ソフトバンクホークスファンである。(そのためか、近年福岡放送の人気ローカル番組ナイトシャッフル」にイレギュラー参加している。)2003年小久保裕紀選手が怪我をした折、「私が代りにサードを守る」と発言。2005年11月、MBSちちんぷいぷい」にゲスト出演した時には、司会角淳一に「今、一番関心のあることは?」と聞かれ、「城島選手のFA問題」と答えた。ヤフードームだけでは無く、出来る限りビジターの応援にも駆けつけるという筋金入り。

2006年(平成18年)下半期放送のNHK朝の連続テレビ小説芋たこなんきん」で、主役の花岡町子を演じている。「おしん」でヒロインの老後を演じた乙羽信子のようなケースを除くと、史上最年長の朝ドラヒロイン(放送開始当時47歳。それまでの最年長は1989年(平成元年)上半期・青春家族に主演したいしだあゆみ=当時41歳)である。このドラマ出演を機に、第57回NHK紅白歌合戦の審査員を務める。

2007年には吉本新喜劇『コヤブ新喜劇 ~座長になって1年たちましたスペシャル~』にシークレットゲストとして出演。旧来より松竹新喜劇とライバル関係にあった吉本の舞台に異例の出演を果たした。

沢田研二の熱狂的なファンであり、「あれほどセクシーさを感じた男性はいない」と評しており、後年、舞台版「夫婦善哉」(織田作之助原作)で共演した。

現代の芸能界の演技者としては珍しく、ひとつの仕事にかかると、他の仕事との掛け持ちは絶対にしない。その姿勢は、仕事・演技へのこだわり・徹底ぶりを示すものであり、新喜劇に命を懸けた父親の「芸に対する哲学」を引き継ぐものである。

主な出演作

舞台

テレビ

映画


以上、Wikipediaより。

他には、石原裕次郎(俳優)、渡哲也(俳優)、藤波辰巳(プロレスラー)、高井麻巳子(元おニャン子クラブ)、トータス松本ウルフルズ)、寺島しのぶ(女優)。

ギャグ連発の連ドラでしたね。。。

堤大二郎(1961年)


堤大二郎

俳優・元アイドル歌手。 東京都中野区出身。東京電機大学高等学校卒業。妻は女優の三浦リカ

所属事務所

  • (有)山の手企画 → (株)アイエス
    (現在は「アイエス」の他に、「(有)ヒップスター」にも業務提携という形で所属している。)

経歴

  • 女の子をナンパしに出かけた六本木で、「おい、そこの君!」とナンパを注意する補導員のような強い口調で当時の所属事務所「山の手企画」の社長の渡辺正次郎にスカウトされたのがきっかけで芸能界入り。 (この渡辺正次郎という人物は社長業以外にも、作家としての顔や、上祐史浩豊川誕などの身元引受人になった事でも話題となっている。)
  • 1980年、『ぼくら野球探偵団』で主役の星空天馬を演じ、芸能界デビュー。
  • 1981年、『燃えてパッション』で歌手デビュー。タイトル通り情熱(パッション)的な歌とダンスが話題となり人気アイドルの仲間入りを果たし、『レッツゴーヤング』(NHK)に「サンデーズ」の一員としてレギュラー出演。
  • 美樹克彦1967年にリリースしてヒットした『花はおそかった』を1982年に再リリースしたがファンには受け入れられず、アイドルとしては以降低迷。
  • 1984年に『零戦燃ゆ』で映画デビューを果たし、以後は俳優として活動している。
  • 学生時代から続けている剣道は二段、刀道は四段の腕前。

主な出演作品

テレビドラマ

テレビその他

映画

  • 零戦燃ゆ(1984年)(主役、浜田正一役)
  • DOOR(1988年)
  • 流転の海(1990年)


以上、Wikipediaより。

他には、加藤登紀子(歌手)、テリー伊藤(演出家)、奈美悦子(女優)、藤井尚之(元チェッカーズ)。

懐かしいなぁ・・・。あ、でも義経にも出てたんですね。。。

小栗旬(1982年)


小栗旬

俳優東京都小平市出身。明星学園高等学校中退。トライストーン・エンタテイメント所属。身長184cm。血液型O型。

小学校6年の時に児童劇団に入団し、子役エキストラからスタートした。

1998年の『GTO』(いじめられっ子の吉川のぼる役)で連続ドラマ初のレギュラー出演。その後、高校に進学するも芸能界と勉学との両立できず中途退学した。

父親は舞台監督の小栗哲家、兄の小栗了は元俳優で、『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』、『間違いの喜劇』で兄弟共演した。母はバレエの先生で姉がひとり、愛犬が二匹(さくら・しづ)。

2008年1月から放送予定の『貧乏男子 ボンビーメン』(日本テレビ)では、大学生役で連続ドラマ初主演を果たす。

ドラマ現場などでは常にテンションが高く、ムードメーカーである。

成宮寛貴生田斗真高岡蒼甫は親しい友人。また『花より男子』で共演した松本潤松田翔太阿部力とも親しい。

作品

テレビドラマ

レギュラー

単発・ゲスト

ラジオ

映画


以上、Wikipediaより。

他には、音無美紀子(女優)、原田美枝子(女優)、中江有里(歌手)、田畑智子(女優)。

見ている番組結構あるんだけど、覚えていない・・・(苦笑)