森脇健児(1967年) | P.S.元気です、 jukucho

森脇健児(1967年)


森脇健児

大阪府枚方市御殿山出身のタレント。本名同じ。洛南高等学校桃山学院大学社会学部卒。血液型AB。所属事務所松竹芸能

若井はやとに弟子入りし松竹芸能の所属となり、1988年から山田雅人とのコンビで『ざまぁKANKAN!』をはじめとする関西ローカルの番組に出演し、関西圏で絶大な人気を博する。その後、東京に進出し、バラエティ番組の司会やテレビドラマの俳優等を務めた。が、数年で仕事が激減し関西にもどるも、芸の伸び悩みや若手の台頭等で苦境に立たされる。

現在は、京都限定のローカルタレントとして、体を張った企画に力を入れている。 『SMAP×SMAP』(『夢がMORIMORI』の人気企画「キックベース」と「音松くん」の復刻版でSMAPと再会するも絡みは乏しかった)、『爆笑ヒットパレード』や『オールスター感謝祭』(KBS京都のラジオ番組を欠席した上で参加したこともある。当時、「京都一筋で頑張っていく」と広言していたため、後輩芸人や周囲から軽く非難を浴びる。)等の番組に単発のゲストとして稀に全国区に出演することもある。

エピソード

  • 京都の高校陸上競技史上に名を残す洛南高校「森脇三兄弟」の次男で、インターハイにも短距離選手として出場し、当時の高校生記録をマークした。そのため、芸能界屈指の韋駄天として知られ、特にオールスター感謝祭の番組内で行われるマラソン競技では上位常連である等、距離不問の俊足ランナーぶりを披露している。ラジオ番組中の本人談によると、洛南高等学校陸上競技部OB会副会長を務めているという。
  • 桃山学院大学に在学中、『ざまぁKANKAN!』等の出演に忙殺され、勉学に支障をきたすようになり、留年を繰り返し、大学の規定により7年以内に卒業要件を満たせなければ除籍処分とされるところを、常勤教授陣の計らいでなんとか卒業させてもらう。1995年、フェザー級プロボクシングライセンス取得。
  • 2003年9月、『マネーの虎』(日本テレビ系)に初の現役芸能人志願者として登場。京都の町家を改装して劇場を開きたいとして1811万円の出資を希望したが、「経営者ではなく、プロデューサーになりたい」というスタンスと計画の甘さがネックとなり、本人による涙ながらのアピールと東京進出以来の友人である吉田栄作による必死のフォローも空しく、パトロン候補者である『虎』達からの屈辱的な非難に耐え切れず号泣した挙句、結局、ノーマネーに終わった。なお、この件には憤懣やる方ない様子で、後日、ABCラジオの番組中で『マネーの虎』に関する不満や裏話をぶちまけて周囲を唖然とさせる。
  • 熱烈な福岡ソフトバンクホークス南海ホークス時代からの)ファンであり、オールスター感謝祭では毎回、ダイエー時代のジャンパーやソフトバンクのユニフォームなどを着て出演している。
  • かつて育毛剤CMに出演していたことから、「ハゲは一気に来る」を一貫した持論としている。『めちゃイケ』のお台場フレンドパーク(後に、岡村隆史は、髪の毛の薄い「ハゲ能人」を集めていたこの回のお台場フレンドパークを「ハゲフレンドパーク」と呼んでいた)に出演した際にも同様の発言をしていた。
  • たまに全国区に出演すると、「俺と共演した奴は人気出る。俺の人気を吸うからな!」とか「仕事ないから朝早く気合入れて来たで!」「1年の3分の2は走る仕事や!」などと、自虐的なブラックユーモアを繰り出し、周囲の雰囲気を凍りつかせるようになる。
  • 大の犬好きであると自認する。(2007・3・25放送分らくらぶR)また、鉄道に関する造詣が深く、特に、京阪電車(自身が利用経験のある沿線限定)に強い思い入れがあるという。(ざまぁKAN KAN!、2007・3・25放送分らくらぶR)
  • 全盛期にCDをアルバム・シングル共に2枚ずつ出しているが、当の本人は歌唱を極端に苦手としており、これらは当時の人気と勢いに便乗して売り出されたキャラクターグッズの一種であると考えられる。そのときTBSの番組で「20位以内に入らなかったら、嫁さんの顔を全国に晒す」と公約したが、妻の猛反対により結局20位以内も公約も果たせず番組内で顰蹙(ひんしゅく)を買う。また、本人出演の番組では度々「森脇健児のCDを聴いて、音がいくつ外れているかを数える」などといったイジリネタが飛び出す。


以上、Wikipediaより。

他には、西郷輝彦(歌手)、後藤次利(作曲家)、大地真央(女優)、竹内都子ピンクの電話)、長州小力(お笑い芸人)。

モリモリチームの時が全盛期だったでしょうか?