三浦友和(1955年) | P.S.元気です、 jukucho

三浦友和(1955年)

山梨県塩山市(現・甲州市)出身の日本俳優である。血液型は、AB型。本名は三浦 稔(みうら みのる)。東京都立日野高等学校卒業。妻は元歌手女優山口百恵1980年11月19日結婚)。

1960年、小学3年生で父親が警察官をやめて家族と共に東京・飯田橋に転居。さらに中学で立川に転居。ラリードライバー篠塚健次郎は義兄(実姉・ひろ子(元歌手・タレント 芸名:牧陽子→三浦弘子)の夫)。忌野清志郎とは東京都立日野高校の同級生。高校生の頃は清志郎とは違うバンドに居た。初期のRCサクセションではバックミュージシャンとして、中期はゲストでライブに参加したことはあるが、RCサクセションの初期メンバーという説は誤り。実姉がタレント活動をしていた関係で、放送局等へ出入りしていたことがきっかけで映画のオーディションを受けることになる。

1970年代に二枚目の俳優として10代に大変な人気があった。特に70年代後半、山口百恵と共に主演映画・ドラマを次々とヒットさせ百恵友和コンビ=ゴールデンコンビといえば知らない人はいなかった。1980年の結婚以降、「山口百恵の夫」という固定されたイメージをぬぐいきれず低迷した期間があるが、映画・舞台で着実に役柄の幅を広げ、アルコール飲料のCMでコミカルな演技見せるなど、硬軟いずれもこなせる中堅俳優としての位置を確立している。1982年頃にタバコのコマーシャルに出演していた頃、本人がアイドルかどうか国会で議論された。

主な出演作品

テレビドラマ

映画

  • 伊豆の踊子(1974年)山口百恵と共演。映画デビュー作品。
  • 潮騒(1975年)山口百恵と共演。
  • 絶唱(1975年)山口百恵と共演。
  • 青い山脈(1975年)
  • 風立ちぬ(1976年)山口百恵と共演。
  • 春琴抄(1976年)山口百恵と共演。
  • 泥だらけの純情(1977年)山口百恵と共演。
  • 霧の旗(1977年)山口百恵と共演。
  • 姿三四郎(1977年)
  • ふりむけば愛(1978年)山口百恵と共演。主題歌の歌唱も。
  • 炎の愛(1978年)山口百恵と共演。
  • 聖職の碑(1978年)
新田次郎原作。
大正時代、長野県の高等小学校が木曽駒ヶ岳集団登山した際実際に起こった気象遭難事故を元に、極限状態での師弟愛を描いた。


以上、Wikipediaより。

他には、小松左京(SF作家)、笑福亭仁鶴(落語家)、川崎のぼる(マンガ家)、福留功男(アナウンサー)、市村正親(俳優)、新庄剛志(元プロ野球選手)、佐藤琢磨(F1レーサー)、乙葉(タレント)。

ホントに一時はどうなったのかと思いました。。。