淋しい夜はごめんだー♪

 

ってそっちじゃありません。

 

 

 

 

 

 

昨日ふと、生徒たちと様々な話をしているときのことをいろいろ考えました。

 

 

どうしても、大学受験と違い、高校受験の『評定の厳しさ』が強烈なので、

生徒たちと話をしていても、そのあたりが気になってくるのですが、

評定の高い人と低い人の違いは、

 

否定的な接続語を使うか否か

 

ではないかと思いました。

 

「でも・・・」

「だって・・・」

 

こちらが言っていることが間違っているのであればどんどん指摘して構わないと生徒たちには伝えているので、とりあえず聞くだけ聞きますが、

聞いても結局言い訳だったということが『覚えている限りすべて』なんですよね。

 

私の聞くときの心構えが、

「また言い訳か・・・?」

となっている可能性もないわけではないでしょうが、

それにしても言い訳が多すぎる。

 

「でも、メガネがないと静かに集中してできないんですよ」

(じゃあかけて)

「だって、家だと親が・・・」

(じゃあここでやって)

「だってわからないんですよ」

(じゃあ聞きにきて)

 

何気に言い訳してくる人の言い訳は、

解決策がとってもわかりやすいものが多いですね。

きっと学校の先生も、その辺がわかってるから意欲・態度のあたりの評価を下げるんだろうなと思います。

 

 

そんなやらない理由並べて何になるのさ。

特に中学生なんて後に控える高校受験がよほどのことがない限り訪れるんだから、

それに向けて取り組まなくてどうするんだろうか。

 

 

部活も学校の行事も習い事も家の事情も、

行きたい高校に合格するという目標を達成させるためには

全て言い訳にしかなりません。

 

 

 

高校生も一緒です。

 

高校が違えば授業の進むスピードが違い、

生徒たちがブツブツ言っていますが、

大学受験の範囲はほぼほぼ決まっており、

それに向けてどのレベルまで自分を押し上げなければならないのかも決まっている。

なので、学校の授業のスピードは正直関係なく、

自分の受験日あたりまでに仕上げることに向かっていかなければならない。

 

 

 

「高校受験さん」も「大学受験さん」も

言い訳をうんうんって言いながら聞いてくれるような優しい人ではありません。

淡々と事務的に、

「はい、評定足りないんで不合格」

「はい、点数足りないんで不合格」

「その日、体調悪かった?そうですか。点数足りないんで不合格」

「授業がそこまで言ってなかった?そうですか。点数足りないんで不合格」

とバッサリ規定に則ってやってくれるでしょう。

 

その時に困るのは本人ただ一人。

 

慰めたところで結果は覆りません。

 

 

 

 

話は変わって、

昨日靴の取り違いがあり、高校生が塾で靴を届けてくれるのを待っていました。

間違ってはいて帰ってしまった中学生のお父さんが届けに来た時に、

「ごめんね、間違えちゃって・・・」

って言ってくれているのを、その高校生は、

イヤホンで動画を見ながら目も合わさずに・・・

 

「イヤホンはずせ!(これ以降は自主規制)」

とけちょんけちょんにしたのですが・・・

 

高校生になっても変わらんなぁ・・・

 

Hよ、今から厳しい部活に転部して鍛えてもらってくれ・・・