なんか最近、近年1週間が極端に早く過ぎていくような気がする・・・

っていうか、こないだお正月だったのにもう今は3月の半ばである。


だから、最近では1週間どころか1年までも、

なんかメチャクチャ早く感じてしまう今日この頃なのである。


ってことはつまり、それだけ私も猛スピードで歳をとってるってことで

私も今年45歳になる・・・・四捨五入したらナンと50歳である!


別に無理矢理若ぶっているワケじゃないけど、

自分が50代に近づいたなんて思いたくもないし、

実際に全く実感が湧かないのである。


ま、塾ってお仕事が小学生や中学生としか絡まないって仕事だから

気持ちが若いっていうのもあるかもしれないけど

それにしても、もうすぐ50歳じゃねーだろ!?

って気分なのである。


ただ、日常の出来事を通して歳を実感させられることは多々ある。


塾には昼間、様々なセールスがやってくるのであるが

つい最近も、パーフェクトにサザエさんの波平さんみたいな髪型の

おじさんがやってきて、忙しかったんでチョットつっけんどんに

応対してたんだけど・・・・


とつぜんセールストークが止まって

「あ~オマエ○○じゃない!」って私の名前を呼ぶのである。

なんと・・・・波平さんは同級生だったのである。


ま、そう言えば塾の保護者の中にも

私より年下の方がかなり増えてきたもんなぁ・・・・・


ただ・・・・


同じ教師という仕事に就いていながら、

同期の中学校の先生達に久々に会うことがあると、

驚きを超えてチョット悲しくすらなってしまう。


生徒が私の年を聞くことがあるが、私が44歳って言うと

子ども達は大抵驚く・・・・


でもこれは、別に私が若く見えるってことを自慢したいワケじゃなく

生徒が言うには、40歳過ぎの学校の先生は

みんなオジイチャンだって言うのである。


確かに、昨日までのブログでも書いたように

今、公立の学校っていうのは教師が指導力を奪われ

子どものデタラメが何でもかんでも通っちゃうっていう

一般社会からは考えられない異常な空間になっちゃってる。


そんな世界に20年も勤め続ければ人間も萎えて当然である。

ただ生きていくための給料をもらうために職場に通い続ければ

40歳代でオジイチャンになっても当然なのである。


あの発狂ザルのような生徒のいた中学校の校長先生と教頭先生は

病気になって学校を去ってしまった。


いつもなら私も、そんな教師達に対して

「そのくらいのことで体をこわすのか!卑怯者!」

ってくらいは言うのであるが・・・・・


さすがに今の学校ではムリもないのかもしれないし

校長にまでなって病気で学校を去らなくてはならないっていうことに

多少なりとも同情の念を感じるのである。


とまぁ・・・・偉そうに書いている私も

さすがに最近は一日の授業が終わったら

尋常でない疲れ方をすることも多くなった。


で、疲れが翌日まで抜けずに、朝起きて鏡を見て

しみじみ「俺も老けたなぁ~」って感じることもあるのである。


でも、その日の授業準備しながら、

今日はどんな風に生徒に渇を入れてやろうかなんて考えながら

夕方の授業開始が迫ってくると、自分でもだんだんテンションが

上がりパワーがみなぎってくるのを感じる。


そんなとき鏡を見ると、確実に朝の顔とは違う自分がいる。

「俺って結構若いジャン!」って思うのである。


私と同じ40代のおじさん方、やっぱ老けるっていうのは

本人の気持ちの持ち方次第だって思うんですヨ。


で、我々の世代っていうのは、この崩壊しつつある日本の

最もまともな時期の、最もまともな教育を受けてきた

最後の世代でもあると思うんです!


だから、我々の世代が老けちゃったら、

もう日本に再生の道は残っていないのである!


私はあまり格言なんてのに興味はないのであるが

孔子のあまりにも有名なこの言葉は

自分自身の座右の銘としていつも心に留めている。


子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。



つまり、我々40代っていうのは、

ようやく、あれこれと迷わずに己の道を模索できる歳になった

スタートの世代っていうわけである。


疲れきってるオジイサンになりかけているオジサン達!


頻繁に鏡で自分の顔を見て

お互い気合いを入れ続けていきましょうや!



中年世代が自らをオジサンと

あきらめてしまわないように

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