昨日、とある私立高校の校長先生が

私の塾にパンフレットを持ってご挨拶に来られた。


都市部と違い私のような地方では、まだまだ私立高校は

公立高校の滑り止め的な位置にあるので

少子化の折、私立高校は生徒集めに必死になっているのである。


で、昨日来られた私立高校は、私の学区内でも最底辺に位置する高校で

ボーダーなんぞ合ってないような、ほぼ受ければ受かるって高校なのだが

優秀な生徒を確保するためにある企画をはじめたということであった。


その内容とは、進学実績を上げるために

今年から生徒を5名ほどに絞った特別進学クラスを開設し

有名大学への合格を目指すというものであった。


これって、どこかで聞いたような話じゃない?

そう、まるであの「ドラゴン桜」の龍山高校そのものなのである。


あまりにあからさまなパクリ企画に、ツッコミどころ満載ではあったが

あえてツッコムのはやめて大人しくお話だけうかがっておいた。


いや~これだけ少子化、低学力化が進むと

塾だけでなく学校経営者達も大変だなぁ・・・・・


で、話は突然変わるのだが、普段テレビをほとんど見ない私は

もちろんこのドラゴン桜だってリアルタイムでは見ていなかった。


昨年の夏、再放送が合っているときに

「ま、これだけ話題になっていたのだから・・・・」と

ほとんど疑心暗鬼の目で見てみたのである。


で、実際に見てみると、やっぱドラマであるから

「そりゃねーだろー」ってシーンもたくさんあるのではあるが

同じ成績を上げるっていう仕事をしているものとして

実に興味深い場面もたくさんあったのである。


なかでもこのシーンは印象深かった。


教師が生徒にこう言う。
「勉強においては、良い教師に良い指導を受けるのがベストであるが
ひとつだけ個人学習がそれに勝ることがある。

それは”密度”である。」って・・・・。


たしかに、どんなに良い指導者がついていたとしても
永久に受け身の勉強をやっていたのでは、成績アップには限界がある。


知識を教わったなら
今度は自分自身の力でその力を定着させる時間が大切なのだ。

それが密度の濃い勉強ということになるのだ。


つまり、どんなに良い塾、良い教師にめぐり合ったとしても
最終的に、自分自身で勉強すること・・・・
つまり自立学習ができない生徒は結局は伸びないということだ。


しかし、私が興味を引かれたのはこの自立学習のことではない。

私が「おもしろいな」って思ったのは
この後の場面で、教師から聞いたこの「密度」って言葉の意味を
あまり学のない母親に伝えるという場面だったのである。


教師は生徒に「密度」のことを伝えるとき
例えとして「ビンに詰まった気体の原子、分子」を使って説明した。

このドラマでは、この生徒の母は居酒屋の女将って設定になっている。
だから、教師と同じように「原子・分子」を使って説明しても
この母親にはとても理解できない・・・・


で、どうしたのか?


この子は、客に出す酎ハイの濃さを例に挙げて、

密度の概念を母親に説明したのである。

ま、もちろんドラマの中のことであるが、見事な例え方である。


我々教師も授業中に、何かを例に挙げて説明したり、
他のものに置き換えて話をすることは多い。

この例えるテクニックは実に難しくもあり、
うまくいったときには実に効果的である。

だから、教師に限らず、親が子どもに説明するときにも
例えを上手に使ってお話をするとうまくいくのである。


算数の計算なんかでも、数字だけではできなかった子どもが
お金に置き換えて話をしたとたんに理解できちゃうってことも
良くあることである。


ま、だからといって
何でもかんでも「お金」に置き換えて話をするってのは
さすがにどうかとは思うが・・・・


私の塾でも例えは頻繁に使う。
しかもできるだけ強烈なやつを・・・・。


3年生がこの時期から公民で習う「家計」の授業などは
高所得者、低所得者の家計を例に話をする。

英語の英作文では、放送禁止に近いようなストーリーを組み立てて
英文を書かせる。

数学にしても理科にしても、頻繁にお金を例えにして授業を行っている。

公立の学校では、刺激的過ぎてとてもできないような内容で
授業を進めているのだ。


もちろん生徒の食いつきもいい。

いきなり例えの話から授業を開始して、
「あれ?何の話だろ?」って生徒の注意を引きつけておいてから
ジワジワと授業の本質に引き込んでいくのである。


学校の教師もよく授業中にムダ話をして生徒の気を引こうとするが
例えにもならない面白くない話は、逆に生徒が引いてしまうばかりである。

「あいつの授業、今日も子どもの自慢話だったよ。ウゼ~。」なんて
生徒から完全に見透かされている教師も多い。


この「たとえ」を使ったテクニックは教師だけに有効なわけではない。


親が子どもに話をするときだって、
上手に「たとえ」を使えば、意思が伝わりやすいのだ。


感情の高ぶりに任せて
言いたいことを親がダイレクトに子どもにぶつけても、
逆に反感をかってしまうばかりである。


説教にしろ、お願いにしろ、いきなりそれを子どもにぶつけるのではなく
「自分が子どもに何を伝え、どうして欲しいのか?」ってことを
まずはきちんと考えて、その伝え方を考えましょう。


子どもにゲームをやめて欲しいからって
いきなりゲーム機取り上げて怒鳴りあげても、
子どもは絶対に言うことなんて聞かない。


親がゲームをやめて欲しい理由は
「勉強や他の事をする時間がなくなってしまう。」とか
「目や脳に悪い影響を与えるから。」ってことだから
具体的にそのことを伝える準備をして話さなくてはならないのだ。

ゲームのやり過ぎで「若年性アルツハイマー」になっちゃった脳の
MRI写真なんか用意するのも刺激的である。


学校ではとてもできないような「たとえ」を使って
子どもに話ができるのは親か塾の教師くらいである。


だから、私の授業は大人が受けてもきっと面白い。

でも、とても塾生の保護者には見せられないかなぁ~。



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