Take it easy

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~うさぎと犬と猫との暮らし~

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12月24日のクリスマスイブ


モモ、11歳を迎えました。


そして、25日のクリスマスの明け方に私の腕の中で急逝致しました。


信じられない。そんな気持ちです。


23日は食欲あり、おやつも牧草も沢山食べていました。24日は誕生日なのにあまりご飯食べてないと思ったら、夜になり一気にしんどそうになり、抱っこして水分取らせたりしてる内にあっという間に、私の腕からモモは去って行きました。


嘘だと。なぜだと。

だだただ、まだ信じられない。


夏のココに続いて、モモまでいなくなってしまった。


今年、最後の日は晴天の中にみぞれ舞うなか火葬でした。


以前獣医師さんに、11歳は人間齢でいうと100歳はいってると言われました。


ココも11歳で亡くなったし、11歳はもう老衰の域に入ってるんだろうなと。

長生きした方なんだろうけど、

でも、亡くなるほんの前まで食べて遊んで元気だった。


信じられない。火葬終えても今もただそれだけです。


くぅちゃんは元気です。


2021は激動で、私自身の闘病も始まり麻薬治療になり、それはつらい副作用や麻薬により上半身の皮膚がケロイド状でボロボロだし落ち込んだり、今年最後のブログもこんな形に。


モモを見守ってくれた皆さんありがとうございました。


でも私は前を向く。

守らなきゃいけないモノがまだまだ沢山あるから。


















私が最初にお迎えしたうさぎ。ココ。


11年間、私と暮らし、私を支えてくれ、共に生きた、ココが8月3日に私から離れ旅立ちました。


なにか、一瞬の出来事でした。


7月25日頃から、急に食欲がないなと。

それから2日、3日と経ち、一切食べなくなり

片道2時間の動物病院まで走りました。


前歯を見てわかっていたのですが、不正咬合でした。予想外だったのは、奥歯がひどい状態でした。。。奥歯が伸び、頬近くまで刺さってる状態。


これじゃ痛くて食べられないよ。

うさぎは、一生歯が伸び続けるので、自ら牧草など噛んですり減らし調整していきます。

ココは牧草をあまり食べてくれない子だったので、11歳になり不正咬合になってしまいました。


奥歯を削る手術をして終わりなのですが、奥歯となると全身麻酔。ココは高齢の11才。先生からは人間年齢でいう100歳とかと。


先生は以前、同じ11歳で同じ手術をした子が、麻酔に耐えられなく手術後亡くなった経験談を話してくれました。

11年間大切に育ててきてねと、麻酔でねとリスクを話してもらい、その日は流動食を出してもらいました。


不正咬合以外は元気、、、


帰って数日、頑張って嫌がりながらも流動飲み込んでくれていたんですが、流動色以外は一切食べられなくなったので、これはもうココも痛いし苦しいと、麻酔に耐えられ手術したら、また元気なココに戻ると、怖かったですが万が一のリスクも受け入れ、手術を決断しました。


7月31日。

手術中は、ただただ願っていました。

そして、動物病院の先生から電話が。

実際見た奥歯は酷い状態で、こんなの初めて見たと。しかし、無事終わり麻酔からも覚めているから迎えに来てくださいと。

声が出るほど、安堵しました。

迎えに行くとまだ眠たそうでしたが、しっかり立っていました。口は気持ち悪いのかモゴモゴしてましたが。

先生から酷かった奥歯の写真も見せて頂き、先生とも麻酔に耐えてくれよったと。

ただ、歯根もぐらぐらだから牧草はもう食べないかもと。


帰ってから、大好きなバナナをあげると、大きく口をあけ自ら食べまくる姿を見て、ココの痛みさえなくなっただけでも手術してよかったと思いました。


しかし、8月3日に容態は急変。

前日までバナナも食べ流動も食べ何事もなかったのに、ヨダレでビショビショになり、口呼吸をして苦しそうでした。

急いで車で2時間。私も難病があり、痛さと副作用にと、目眩がすごく休みながら走らせました。姉にも連絡して、あとから追ってきてくれました。

動物病院に着く頃には、口呼吸が荒く、先生からもうちょっとこれはと。。。

レントゲン出来るが、抑えると、心臓止まっちゃうかもと。。。


覚悟をしました。


炎症剤の注射をしてもらい、先生はやはり全身麻酔の負担はあった可能性は否定できないと。

しかし、どっちみちあの歯は削らないといくなかったと。


本当に不正咬合以外は元気だった。


処置をしてもらい、隣のコンビニに車を止め、ココをずっと撫で思い出話をしてました。


あとから追いかけてきてくれた姉が、到着し涙が溢れてきました。

姉も待ってたかのように、ココは立てなくなり呼吸も荒くなっていきました。

姉と頑張ったねと、11年間もありがとうと交代に抱っこし、最期は私の腕の中で息を引き取りました。


そこからは頭が真っ白で。

駐車場で2時間はココを抱っこしたまま動けませんでした。

コンビニで大好きなバナナを買い、手で持つように抱かせて、車の中でも涙止まらずココに思い出話をして、ココが生きて暮らした街へ戻りました。


そこから少しの間ずっと思い出話が尽きず、ケージの中で眠ってるココの傍にいました。


夜中に抱っこして泣き崩れる日もあり。。


火葬の日が決め、最期の夜は隣で一緒に寝ました。


火葬の日は、もうこの子の匂いがかげないのかと、鼻も舐めてくれないのかと、ずっと涙が止まらなく、爪切りとブラッシングをしてあげました。


お骨になって戻ってきたココは本当に小さく、ご飯を食べられなくなってから本当に一瞬で、信じられなかった。


この記事を書くのに何日もかかった。


未だに酷い落ち込みがありますが、まだ他の子達のお父ちゃんなので、兎に角頑張らなくてはと。


そして、ココの異変には気付いてない頃に、新しい家族、チンチラのベビーを迎えた話もありますが、また後日お話する機会があればなと。


ココは私の中で特別でした。

みんか特別なんですが、みるくやここあを迎えるより、一番先にお迎えした子。

なにか特別でした。


11年前に私の所に来たココ。

そして、ココは亡くなり11年後、産まれたばっかりのチンチラが来たこと。


時は進んでいるが、人間はなんて長生きなんだろうと改めて思いました。


私の人生に、ココの兎生ががありました。


今までありがとう。


見守ってくれた、ブロ友さんもありがとうございました。

いつか、またココと暮らせるように、父ちゃんはまだ人生なんとか頑張ります。


大変苦しい難病もありますが、病状は正直悪化していてますが、なんとかと思っています。


ココ。お疲れ様。私を最初に父ちゃんにしてくれてありがとう。本当にありがとう。

大好きだ。本当に大好きだ。愛してるぞ。


PS.他の子達は元気いっぱいです。














祝ってもらい。楽しかった。
皆、同じスマホゲームをしてるんで、みんなで楽しんで朝の5時解散となりました。

体は痛くやばいのに、オールなんてきついぜ。

その後、18時間眠り続けました。

しんどかったけれど、祝ってもらって凄く嬉しかったです。

家で耐える、我慢の日々で、みんなでいると楽しいね生ビールおねがい