コインランドリーの帰りに、

「生きるのに意味付けなんて必要ない、命そのものに意味がある」みたいな張り紙があったので、中学時代の学校の帰りみたいに思考を巡らせてみたのでメモ。

 

人間が何か、例えば虫、もっと具体的にいうとミツバチとかの生に意味を考えるとしたら、「花粉を運んで植物を繁殖させる。」みたいな意味付けができるのかなって思う。

じゃあ、もっと上位な存在から、人間がミツバチを見るように人間を見てみたらどういう意味付けができるのかな〜とか考えてみた。

 

歴史とかそういうの考えると、人類は土地と土地をつないでモノを移動させることが他よりもできる生物なのかなとか思い付いてみた。

地域から地域へ、国から国へ、大陸から大陸へ。

 

そして今は宇宙へ。

 

さらには他の惑星や銀河系へ。

 

そして想像すらできない未知のその先へ。

 

もし神様のような存在がいたとして、生物それぞれにこうも生存欲求を与えたのだから、その意図は生物の繁栄なのかなと。

人間が様々なモノを移動できる種として存在している意味、人間の生きる意味は「様々な土地に様々な生物を移動させ繁殖させること。」なのかなとか。

 

まあ、地球だけに知的生命体がいるとは思わないけど、そういう"役割"の一つの種が"人間"なのかなとか。

 

頭のいい人間が宇宙を目指すことが多いのは、そういった役割への本能から来ているものだったりするのかもね〜とかとか。

別に頭の悪い人間とか、有象無象どもがなんの意味もない生物ってわけじゃない。そういう頭のいい人間は優れた遺伝子と整った環境があってこそ活きるもの。

人を生かすための生産者、人と人とをつなぐ人、人に影響を与える人、人を活かすための環境を作る人、生命を生み出すこと、全てに意味がある。

だからこそ、「生きる意味付けなんてなくても、生命全てに意味がある」と言えるのかなと。

 

誰もが一度は考えそうだし、おいらも昔何回か似たようなこと考えたことある気がするけど、なんかけっこう論理的に書けそうだったので書いてみた。

 

中学とか高校の帰り道、一人の時はこういうことばっか考えてたな、と。

もう社会人。

 

別にわざわざ自分の種としての役割とか敢えて意識するつもりはないけど、

結局、生き方には何も変わらない。

 

ただ最期には、自分が未来に繋げられたと、何か意味を感じられる人生にしたいものです。

 

以上、夏休みが終わります;;