今日は言語についてのお話。興味があれば、お読みくだされ。


「傘立てに濡れた傘を見つけ、『あ、もう来てるんだ』と呟いた。」


以前身近にウズベキスタン出身の方がいて、聞くとウズベク語も名詞の複数形があるとのことだったので、その複数形についての「感覚」を尋ねたことがある。


何か名詞を発しようとして、その名詞が指すものを思い浮かべるその瞬間、単数が複数かの認識も一緒にオートマチックで行うのかと訊ねたら、その通りと答えてくれた。


冒頭の文を読んだ際、他言語ほど名詞の数にやかましくない日本語を母語とする人は、どんな映像を脳内に思い浮かべるのだろう。一方で、数にうるさい母国語の人は、どうだろうか。


一応、冒頭のさらに冒頭の日本語には、次のふた通りの英語訳が考えられる。

① Finding a wet umbrella 

② Finding wet umbrellas

単数か複数かで、ここから次に展開する場面の登場人物の人数まで変わってくるのだ。


当然、言語の優劣を語る愚を犯そうというのではない。ただ、少なくとも数にまつわる部分に関しての想起する映像の精緻さは、数の概念にやかましい言語の使用者の方に軍配が上がりそうだ。


こういう違いが、自分は面白いと思うのだ。日本語を使う時、いつもより数に対して注意深くなってみると、また少しだけ違って世界が見えるかもしれない。多言語のエッセンスを、母国語に少々混ぜてみる。すると、ちょっとした「味変」を楽しめるかもしれない。