好きな季節やひと時を言語化しようとする時、そこには心惹かれるもので溢れているので叙情的な記述が容易にできる。豊かな場面描写ができると、読み手の五感を掻き立てられるので、その時「叙情(客観的な情景描写)」から「抒情(主観的な心情描写)」への滑らかな移行が成立する。ダイレクトな「抒情」は案外読み手側の心情に働きかけない。


古い話になるけど、CharaのJunior Sweet がリリースされた時の話。Chara自身が語っていたのは、「『歌詞がちょっと変わったね』って言われるけど、自分ではよく分からない」ということだった。その前に発表されたYen Town Band の歌から既にそうだったが、歌詞の「叙情的」色合いが強まっていた。Yen 〜 の影響があったかどうかは定かではないが、Junior 〜 の歌詞もやっぱり以前と比較して叙情的なのだ。以前は「抒情」性の強い歌詞を書いていたので、聴き手側としては今ひとつ歌詞世界の映像化が出来なかった。もっとも、その抒情性がCharaらしさであり、魅力でもあるのは認める。だけど、「叙情」性が高まった方が、少なくとも自分にとっては格段に感情を揺さぶられる感覚が強まった。


昨日は自分の好きになれない季節について書いてみた。自分にとって、実は実験的試み。分かったのは、好きではないものを叙情的に書くのはすごく難しい。でもそれって、きっと技術なのだろうと思う。風景の単調さ、無表情さは、確かに描写しづらい。「無い」を絵に描こうとするのに似ているから。でもきっと優れた画家なら、見た瞬間に「あ、この人は『無い』を描いてる」と分かる絵を描くんじゃないかと思うのだ。ならば自分も、風景の無表情さ、単調さを叙情的に表現できる文章技術を身に付けたい。