あんまり将棋のことは詳しくないんだけど

7月6日から7日にかけての

藤井王位と渡辺九段の対戦は

劇的なものだったらしい。

詳細はすでに記事になっているので省くとして、

人間同士のある種の「ゆらぎ」をめぐる

非常に緊張感あふれるドラマだったようだ。

 

音楽演奏が打ち込みが主流になって

ベースのスラッピングさえ

生音と聞き間違えるほどになると、

人間の演奏が不要になってくる。

じっさい、「ギターやってるんだ」と言って

家にギターがあるなんて風景よりも

「音楽やってるんだ」と言って

PCをはじめとする打ち込み機材がそろっている方が

一般的になりつつあるのかもしれない。

こうなると、「演奏技術」というものが、

戦国の世の剣術や兵法くらい

無用の長物となるのかもしれない。

 

いっぽうで、果たしてそうか?とも思う。

写真技術が生まれた時に

絵画という芸術ジャンルが失われると言われたが

写真という別の芸術分野が生まれはしたが

絵画はなくならなかった。

ただし、写真のような写実性は、

ただそれだけでは評価されにくくはなったのだろう。

 

打ち込みと生演奏との関係も

そうなるのではないか、というのは楽観的が過ぎるか?

決して間違えることのない機械の演奏と

人が必然的に持つ「ゆらぎ」を孕む

心臓の鼓動と血流を感じさせる演奏は、

別のジャンルとして並立するのではないだろうか。

ただし、「演奏技術とは何か」の再定義を

演ずる方のみならず聴く方もしなくてはならないのだろう。

 

ちょっとこの「ゆらぎ」について

気が向いたのでまた綴ってみたいと思う。