メソメソしてた昨日から気を取り直し、

今日からまた元気に(?)治療再開なのだ。


AIの発達に伴い医師が要らなくなり看護師の需要が保たれる、という話を聞いたことがある。実際に韓国では(病院や医師の方針や良心によって異なるのだろうが)人間の医師は医療診断AIの伝言係になっているような話も聞いた。機械になんか診てもらいたくないと思う人も居ようが、診断精度はデータが揃えばの前提だろうが、人間の医師より遥かに速くて高精度らしい。そう聞くと、「あ、じゃあやっぱり機械に診てもらった方がいいです」って言う人もけっこう出てくるだろう。


随分前に、某スポーツ協会に加盟金を振り込みにあるコンビニに行った時、支払用紙をレジのお姉さんに渡したら「ご一緒に◯らあげクンザンギ味はいかがですか〜?」ときた。「『ご一緒』するもんじゃねーよ」と「『か◯あげクンザンギ味』って何じゃい⁈*」という2つのツッコミが同時に浮かんだけど、「いえ、結構です」とニッコリ返した。レジ作業中、ふと見るとフランボワーズ味のロールケーキがあったから、奥さんの土産にと思ってそれも追加でレジのお姉さんに渡すと、「ご一緒にから◯げクンザンギ味はいかがですか〜?」ときた。マジか。協会加盟金とご一緒しない物をどうしてよりによってフランボワーズロールケーキとご一緒させる?まあでも、自分はこういうのは面白いとは思っても腹は立たないので、半笑いでオススメをご遠慮した。(*注 「ザンギ」は漬け込み肉を唐揚げに使う北海道料理なので、もしも漬け込んだら「ザンギクン」になるだろうし、衣だけ付けだれ味にするんだったら「醤油だれ味」になると思う、という自分なりの拘り)


今日から再開の放射線治療で、短いながらも放射線科の技師さんや看護師さんと会話を楽しむのだ。技師さんなんかは高校の同窓と分かり、親近感を覚える。看護師さんもいつも気遣いが有難いし、放射線科の女医さんもざっくばらんな感じで会話が面白い。


つまるところ、生身の人間とのやり取りって面白いな、という話だ。自分は柔軟性を大事にするので、速さと精度が必要ならAIに普通に頼ればいいと思う。一方で、速さと精度にしか価値を置かないとしたら、何とも味気ない、つまんねえ世界になるな、とも思う。ただでも、もう一周して考えると、「面白くなかったら人間としての価値がない」ってなってしまったら、これまたプレッシャーが半端ないわな。地道な事務作業が好きだし得意だし向いているって人も確実に世の中には居られる。


落語に出てくる鋳掛屋や屑屋が時代の流れと共に無くなったのと、AIが何かの仕事を廃れさせるのはちょっと違う気がする。後者の方のスピード感が桁違いだし、何より例えば創造性を強要するみたいに人の有り様に関する変化を強いる。でもやっぱり、AIは道具だし、道具以上の地位を付与するような物でもない。だから、道具なら使うのがいいよ。とは言え、使い方に向こう少なくとも50年は頭を悩ませそう。AIの適正な使い方をAIに訊けばいいのか?