破れ鍋は綴じ蓋を求め

綴じ蓋は破れ鍋を必要とする。

課題の大きな二人は

強く相手を求めれば求めるほど

相手を道具へと貶める。


不健全な者たちの恋愛は

上の5行に尽きるだろう。


恋愛結婚より見合い結婚の方が

離婚率が低いというのは

破れ鍋と綴じ蓋それぞれが

互いの課題ゆえに

惹かれ合うからかではないかと思う。


「愛し合う二人は結ばれて

末永く幸せに暮らしたとさ」には

看過し難い欺瞞が潜んでいる。

結婚してからの方がはるかに長く

平凡で、単調で、

やりたいことよりも

やらねばならぬことの方が

桁違いな程はるかに多く、

それゆえにその人 の素の姿が

立ち現れる機会に溢れている。


その中で、課題の大きな二人は、

どう自分と相手が

それぞれに生み出す大波を

越えてゆくものか?


このブログは自分のためのもので、

だから妻の課題の何たるかは

彼女が生きている限り

綴るつもりはない。

ただ、二人とも壮絶な時間を過ごした。

自分のことを少し綴るなら、

回避性の愛着の課題があって、

感情を相手に対しても自分に対しても

遮蔽する習慣があった。

ただそれを重ねると、

次は自己愛の課題が噴出し

自己愛憤怒を迸らせた。


徹底的に自分と、相手と、

そして「感情」というものとに

嫌というほど向き合わされた。


苦しかった。



今はようやく、

「感情」というものと

対等に向き合えているように思う。

そこそこ、凪の海だよ。


結婚してから

とても物語にはできないような

壮絶な時間を越してきて

安寧を享受している自分にとって

「いい恋愛」ってのは

ちょっと難しすぎるのだ。


心が健康な人にしたら

難しいことなんてないのか?