ふと思いついた程度で、

専門家でも研究者でもないのに

大仰なタイトルをつけてしまった。


もしも自分が

「内なる子どもは癒されてますか」

とか訊かれたら、

「あー、まー、たぶん、そうねー」

と答えるだろうな。


なんでも分析しないと

気が済まないとか意味がないとか

そういうわけじゃないけど、

ただ自分なりの論理背景もなく

「癒されてます」なんて

ちょっと言えんわなー、と思った次第。


ある種のトラウマ様の心理状態の

記憶の反芻による寛解、

という理解でいいのかな?

自分はそれこそこのブログで

繰り返し過去を振り返り

幼い頃の不安や不満を反芻することで、

その感情の機序から

認知上の位置付けまで明確になった。

そのことによってネガティブな記憶や

ともすれば記憶から剥離した感情が

危険信号として扁桃体を刺激しなくなった、

という理解でいいのだろうか。


もしこの理解で合っているのなら、

「内なる子どもを癒す」という営みは

何となくできた気がする。

ついでに言うと

「内なる子どもを育てる」というのは

この間の交流分析的な

話になるような気がするな。