飛行中のコクピットに何回も入れた理由、きっかけお話します。 | 写真好き必見,フォトグラファ-サノウトオルの絶景風景写真出会いへの道

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年に一回遭遇できればという熱望。写真カルチャ-講座担当者としての想いも。

当時、某航空会社の日本語の機内誌の仕事をさせていただいていた。もちろん、外資系航空会社である。


日本人フライトアテンダントの総人数もしれていたため、私が、写真の仕事でよくこの航空会社を利用していることを日本人のクル-に知ってもらっていた。


たまたま、私の知らないところで、そのクル-のボス、すなわち、日本でいうチ-フパ-サ- 仮に G氏としておこう。


このG氏が  日本好きで、仕事のほとんどを当時、KIX関空行きに、常務していた。


このG氏、男性でスイス人ある。彼は、京都が好きで、成田便よりも、関空便に多く常務していた。


私は、そんなことも知らず、当時、カメラも三脚も、スイスの現地にて預かってもらって帰国していたので、


撮影済フィルムだけ持って帰るような感じであった。


現地から、搭乗すると、彼が、日本語で、  あなたが、フォトグラファ-さのさんですか?


前から、日本人クル-から あなたのことよく聞いてました、会えてうれしいです。 と声をかけてくれた。


飛行中、彼もよく、私に話してくれた。京都が大好き、日本が大好き、日本語勉強しているとか、


松尾芭蕉が好きだとか、、、。


私は、カメラも持っていなかったが、このG氏がカメラ好きで、関空行きの仕事に、彼がカメラを持参している


ということで、だめもとで、関空着陸を、コクピットからぜひ撮影したい、あなたのカメラ、かしてもらっていいです


か?  と、、、、そしたら、喜んで貸してくださった。


それが最初のコクピットからの撮影である、それも一番 機長が、緊張する 着陸の時間でもある。


いまでもその時のことはよく覚えている。


和歌山側からの着陸ではなく、大阪湾からの方向の着陸であった、、、。


このG氏、私よりも5才くらい、歳が上であった。


翌年、彼と、彼の息子が、私のスイスの写真展、当時、大阪マルビルにあった 富士フォトサロンに


来場してくださった、。彼との付き合いは、それから数年続いた。


現地スイスの彼の自宅にも招待していただき、彼の奥様ともお話したり、また、彼が大阪へのフライトの際は、


こちらが、逆に御馳走したり、しばらく、いいお付き合いをさせていただいた。


きっと、いま、関空便はなくなったが、成田には、よく飛んできているだろう、、。


私のアドバイスで、彼の写真も上達したかなぁ  とも思う。