先週末、一杯聞こし召しながら奥さんとテレビなぞを眺めていたら、ふと母から着信があった。
そっとテレビの音量を下げてくれる奥さんの配慮に感謝しつつ、電話機を耳に当てると母の声が震えている。
ーーー○○の叔父さんが昨日亡くなったんだって…今連絡が来た。
ーーーあら、それは…うん、そうか。
ーーーとりあえず、あんたからも〇〇の叔母さんに電話してみてくれない?
ーーー俺が電話を?…まぁ、わかった。
〇〇の叔父さんというのは、私からすれば祖母の妹の旦那さんに当たる人なのだが、幸か不幸かその夫婦には“孫”が居ない為、その分私も幼少時から可愛がられ、また慣れ親しんだ存在であって、決して他人事ではないのだけれど、夏の入りから体調を崩して入退院していることも聞いていたし、ましてや卒寿を過ぎていることも含めて、私の内心では想定の範囲内であったので“驚愕”という種類の受け止め方ではない。
だが、私とは対照的に、このような場合に母はまったく無力の人になってしまうタチで、突き詰めれば本人の“信仰心・宗教観”という観念の欠如が“身近な人の死”ということに対しての抗体を作らせないのでもあり、詰まるところ母の中では『死』というのは行き止まりの落とし穴のようなもので、竹内力の言葉を借りるなら「人間、死んだら終わりや!」というムードが受話器越しでも伝わってくる。
ーーー電話をするのはいいけれど、葬儀はいつだね?
ーーーまだ決まってないそうだよ、なかなか葬儀屋が埋まっているみたいで。
ーーー葬式屋、商売繁盛か。
ーーーだから、身体を冷やして。何日かは保つみたいだし。
ーーーせっかくなら、鰹節と同じ方法でやればいい。この間テレビで観たよ。
ーーーそんな悪い冗談は叔母さんには言うんじゃないよ。とにかく、叔母さんに…
ーーーハイハイ。
電話を切った後、奥さんに手短かに内容を伝えてから、大叔母へ電話をかける。
ーーー今知らせを聞いたよ。大変だったね。
ーーーああ。でもネ、苦しまなかったから、よかったよ。
ーーーそうかい。じゃあ大往生でピンピンコロリ、ってことかな?
ーーーそうそう、ピンピンコロリ。それが一番。
ーーーかと言って、おばさんは、まだまだ死んじゃっちゃア困るよ。
ーーーワタシは、まだまだ生きるからよ。
ーーーなら安心。ところで、おじさんはいくつになったのかな?
ーーー長生きしたよ、今度の12月まで生きてたら、42。
ーーー42⁉︎
受話器の向こう側でお姉ちゃん(母の従妹)が「92だよ!」と言っている張りのある声が聞こえる。
私は微苦笑しながら、
ーーー五十もサバ読んじゃあ、ダメだよ。
と言い、おばさんも笑いながら、
ーーー最近“モノ忘レ”が多くてな。
と言った。
私は、このような疫病の時節であることから、不義理をしてしまうが葬儀には戻れない旨を伝え、同時に内心では『五十のサバ読みは“モノ忘レ”とはまた違うような気がするが…』などと思いながら電話を切った。
そうして、再度母へ電話をし、放心状態の彼女から問われるままに幾つかの手順を説き、母も少し方寸が定まったような声音になったものの、無難な処方しか説かない私の方が少しむず痒かった。
電話を切った後、振り返ると奥さんが目に涙を溜めていたので、私は一瞬変顔をし、そうして彼女に一言礼を言った。我々に祝儀やお祝いの品のやり取りや、また私が時折その大叔父・大叔母の話をしていたから、彼女も既に“他人事”の顔つきでは無いことが私には嬉しかったし、泣いてくれるオンナが一人でも多い方が謹厳に生き抜いた大叔父も少しは嬉しかろうと思う。
私は煙草を吸うという名目でベランダに出た。
このような時、私はいつも独りになりたがる。それはツガイが出来ても変わらないらしい。いや、ツガイが出来たからこそ、独りで我と我が心に向き合うことが更に大切に感じるのかもしれない。人は皆、いついかなる時でも最終的には“孤独”であるということを総じて忘れたいかのように群れ連んで生きたがるが、私のような勝手者にはその必要も、またその資格も権利も無いように思う。その心境は幼い頃から変わらない。
そうして、紫煙を烟らせながら私は己の迂闊さを恥じ入った。
この夏の初め、弟夫婦にオメデタの知らせがあったと聞いた時から、私は何処か浮れていたのではないか。少なくとも、新しい命が出てくればところてん式に古い者から押し出されていくのは原理原則としての順序だったはずなのに、私は弟の子供の誕生を待ち侘びつつ、同時に大叔父の快気までも都合良く望んでいた。いや、私の意志に関わらず、また時には順序・順番も関係無く、人は突然死ぬ。私が恥じ入ったのは己の利己心を疑わなかったことと、ところてん式の原則を束の間であっても忘れていたことにあるのである。
だから、大叔父の死によって最初に流した涙は“悔し涙”であった。どこまでも自分勝手な私の愚かさや、どこまでも“小我”を離れぬ未熟さ、そしてそれを束の間忘れたように母に無難な手順などを説いている自分の面の皮の厚さも含めて、少量の、しかし塩分の濃そうな涙であった。
何気なく見上げた空に、一際輝く星が一つ見えた。星の名前などは知らないが、太陽の光の反射で星が輝いて見えるという“理屈”は知っている。
ふと『人は二度死ぬ、一度目は身体が死ぬ時、二度目は忘れられた時』という言葉が頭をよぎった。同時に『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』という言葉も浮かんだ。
大叔父は二度死ぬだろうか、否。どうしようもなく愚かな私を愛してくれた人を、どうして忘れられようか。
私がこのまま無反省な明るい顔つきで、星々を照らす太陽たらんと欲することは罪であるか、否。
私が、私の心の中で、闇夜の世界に浮かぶ星々を照らす太陽となろう、などと相変らず大袈裟なことを考え、私はベランダを後にし、心配顔の奥さんにもう一度変顔をしてから、残りの酒を干して寝た。
後日、相棒・フライデーにそのような話をしていて、私はふと口に出した。
ーーーそれにさ、
ーーーなあに?
ーーー四十路絡みの男が泣いたり嘆いたりするのって、美しくはないよネ。
フライデーは苦笑しつつも「そうね」と言ってくれた。
そうして、このように一文を作成することによって、私の中の感情の動きに少しは収まりもつくのではないかと祈るような気持ちもあるのだが、今現在まだ大叔父が焼き場へ出荷されていないという事実を思うと、少し“バチ”というものが私に狙いを定めやしないかとヒヤリとしないでもない。
私を愛してくれた大叔父に、感謝を込めて、合掌。

