東照大権現こと徳川家康は「この世は穢土(『〔汚れた国土の意〕煩悩のある世界。凡夫の住むこの世。現世。(大辞林より参照)』)である」との思いから『厭離穢土、欣求浄土』という旗印を使ったそうであるが、晩年の自分の本拠地に『厭離』であるはずの『穢土(えど)』と音が同じ『江戸(えど)』というネーミングをする辺り、なかなかの皮肉屋だったのかもしれない。そう考えれば『江戸・東京』が『穢土シティ』であるのも頷けるような気もする。都会では自殺する若者が増えている。
あまりに久しぶりのブログ更新の為、なにを書こうか迷った挙句、近況などについて思いつくままにつらつらと連ねてみる。
『書くことが無いんだったら放っておかんかい!』という“なんにつけても意見を言いたい人”の声が聴こえてきそうだが、なにせブログでしか近況をお知らせできないお友だちも居るため、そういった雑音・幻聴の類は無視するものとする。
今は二冊同時並行で読書をしている。
一冊は『人生を面白くする“本物の教養” 出口治明著(幻冬舎新書)』で、もう一冊が『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也著(新潮社)』である。
『本物の教養』なぞという“お堅い”本を一章読んでから『木村政彦は〜』を読むというのは、例えるならばスイカに塩をかけるように、甘味を引き立てるために塩を振るようなことで、もちろんこの場合の“甘いスイカ”は『木村政彦は〜』の方なのである。
私の考える“本物の教養”とはプロレス・格闘技の諸々に詳しい事だと痛感させられている。「そもさん!人間風車とは?」と問うて「せっぱ!ビル・ロビンソンの如し!」と応える人間とは親交が深まりそうだが、『風力発電の有用性』について延々と語られたところで私は鼻毛の一つも抜きながら「セクシーに進むといいねぇ〜」くらいのリアクションしか取らないであろうから。
それと別に、最近は自炊熱が高まっている。
今年引っ越してきた部屋はキッチンがとても広いので、キッチンへ立つことが苦にならない…どころか楽しくて仕方がない。グングン上がってます、自炊力。私が豚骨ラーメン屋で働いていたら知らず知らずのうちに野菜も油もマシマシになっていることだろう。
それにしても、不思議なことにキッチンだとかお風呂場だとか、そのような場所に居ると突然“思いつき”に襲われがちなのは私だけなのだろうか。
昨夜も鯖を調理している際に、ふと『ハレルヤと唱えて鯖の生き腐れ』という一句が浮かび、意味も理由もわからぬまま、とりあえず手近なところにメモをしておいた。一旦ここに書くことで鯖の怨念も消化されるようで、少し気が楽になるだろう。と思う。
25日直前には年賀状をひと通り終わらせた。
だいぶ人選・人間関係のブラッシュアップをしたつもりではあったが、結局百枚近く描く羽目になった。これで意外と知り合いが多いのかもしれないが、最終的には“チンアナゴ”の絵を描いて「今年の干支です。」というメッセージを添えていた辺り、私の年賀状のほとんどは“腐れ縁”に酵母を足すようなものなのかもしれない。
そう振り返ってみると今年も実にトラブル・アクシデント続きの一年だった。何とかここまで生き延びられてきたのは一重に周りの皆の優しさのおかげだと深く感謝の念に絶えない。
ついでに記せば、私は今年久しぶりに“恋人”が出来た。
こんな私に付き合ってくれている辺り、テキもなかなかの変人なのではないかと胡乱な目で見ているが、奪うほどの財産も、有り余る頭髪も持たない私からテキは何を引き出そうとしているのか、しみじみと興味深く寝顔に見入る夜もある。
それでは皆さん良いお年を。
『ハレルヤと唱えて鯖の生き腐れ』
2019年師走 犬拝
川の流れのように 美空ひばり
私の父親の仏壇。装飾はもちろんワタクシ。