例えば、私は素手でヤシの実が割れない。
例えば、ドラマなどでビルの上から権力者やエリートなどが地上を行く人々を「小さいな…」などというシーンも何処かで見た気もするし、しょっちゅう見ているようにも思う。
少なくともひと昔前には、日本は世界でダントツの識字率を誇っていたはずだが、現代のSNSでの誹謗中傷の嵐などを見る限りでは、識字率の高さが翻って己らの首を絞めている様にも思えなくも無い。それくらいだったら、私は素手でヤシの実を割れるような“知恵と技術”の方に関心がある。
ビルの上から人々を見下ろす人が認識するサイズの地上の人間の“小ささ”は、逆に地上の人間から其奴を見上げてもサイズ感は“同等”のものには違いないという間抜けさもあるが、高所からの視点(人を頭数でしか見ないで済む)も『データ・統計』という観点から見れば必要な視点のひとつであることも認めざるを得ない。
それにしても、このコロナ騒ぎの中で沸いて出たような数々の“有識者たち”には辟易とさせられる。『水滸伝』の出だしではないが“ワイドショー”とは108の有識者たちの『梁山泊』であるが如しである。
様々な“有識者たち”が、実に様々な“データ・統計”を提示し、また様々な“対処法・知恵”を無責任に提示し、其れを一切恥づる様子もないサマは見ていて決して快いものではない。
ある識者曰く「これからは“ウィズコロナ”で、集団免疫を得ることでしか云々」と宣っていた。確かに一理あるのかとも思うが、その様に振る舞われたら卒寿を超えた私の祖母などは一発でお陀仏でもあろうと思うと、やはり高所からの“ご意見”などというものは所詮「森を見て木を見ず」との感が拭えない。
日常がコロナコロナで明け暮れる中、私も少なからず“コロナ鬱”というモノが心底に澱の様に沈殿していることに気づく。
この様な時にこそ有効なのが『オカルトとプロレス』だと、それがあくまで対症療法だと知りつつも、其れ等にガス抜きを求めることにし、そういったジャンルの本を読んだり、また怖い話(お化けとか)を見たり聞いたりして、コロナ鬱と、それに伴う様々な不愉快な言説(SNS含む)から身を守っている。
特にオカルト部門に於いては“心霊・宇宙人部門”は近年“都市伝説部門”にめっきり主流を奪われて(実際、このコロナの感染が始まった頃は様々な国の“陰謀”という説が大変流行っていた)いたが、古き良きオカルトを信奉する私としては、この様な時こそ“都市伝説部門”よりも脇が甘い“心霊・宇宙人部門”に癒されるのである。
昨日は奥さんとこんな会話をした。
ーーー例えばここにお化けが居たとしてさ、
ーーーうん。
ーーー霊感のある人にはそれが見えて、霊感のない人にはそれが見えない訳でしょ?
ーーーそうだね。
ーーーだとしたら…ヤツラ(この場合は幽霊)、なんで防犯カメラにはバッチリ映ったりするのだろうか?
ーーーそう言われてみれば、そうよねぇ。。
私にはもったいないくらい素直な奥さんであるが、私からすればぴったりな会話相手である様にも思う。
日本でも「コロナ、なんて、インフルエンザと一緒だ!」と豪語する御仁も居られるが、その“インフルエンザ”にワクチンも抗生剤も無いとしたら、インフルエンザですら余程怖いと私などの様な臆病者は思わざるを得ない。
だが、結局一番怖いのはコロナでも幽霊でも無く、“(コロナに罹患しても)自分は死なない”と開き直った一般人であり、愛のない為政者である。
末筆ながら、『あー、ヤシの実割れるようにならないかなぁ』と考えている私の目の前に、突然神様・神龍(シェンロン※ドラゴンボールの、願いを叶える龍)・またはランプの魔神などが現れてしまったら、私は貴重な願い事を「ヤシの実を割れるようにして下さい!」と頼んでしまいそうで、それはそれで怖い。
だが、それでヤシの実が割れるようになったりした場合は躊躇なくYouTuberデビューでもしてみます。
ヤシの実割り専門チャンネルに需要があるのかどうかは別として。

