これは今回の東日本地震が起きる
「1年とちょっと前」の
2010年1月17日にmixiの方で書いた日記です。
そのまま載せていますので
不適切な表現があればお許しください
以下長文です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日、家に帰ったら1.17.のドラマをやってた。
見ないつもりやったから、録画してなかったんやけど
けっきょく最後まで見た。
あんなに簡単なもんやない。
最初から見てないくせに言うなって話やけど。
~1995.1.17.~
早朝、なぜか『あ、地震がくる!』と目が覚めた。
直後にユサユサ揺れだして、夢かと思ったけど
物が倒れだしたので、現実と知った。
近所に住んでる友達から 真っ先に電話があって神戸が酷いと。
自分が怖い思いをしたことで頭がいっぱいだった私は
まさかこんなに被害がでてるとは思いもしなかった。
テレビでは、死者数人、数十人、数百人と情報が錯綜していた。
電話も通じず、どうしていいかわからなかった私はとりあえず行かないと!
と車に乗って神戸へむかった。道路があんなことになってるとも知らずに。
2時間経っても、1駅分も進めなくてしかたなく引き返した。
半日後にようやく、無事が確認できた。
彼氏とそのお母さんが30キロの道のりを徒歩で避難してきたのはその2日後。
2日間ほとんど飲まず食わずの後、30キロの道を歩いてやってきた。
車も電車もバスも、電気も水道もガスもなにもかも通ってなかった。
ガスが復旧し、ヒビの入ったマンションが安全と認定されるまで
お母さんはお兄さんのマンションに、彼氏はうちに住む事になった。
申し訳ないとお母さんにも謝られた。
彼氏はうちに来てもずっと心臓の音が異常に早くて、よっぽど怖い思いをしたんやと思った。
食器棚が倒れてガラスが割れた上を裸足で歩き、
タンスとタンスのあいだで奇跡的に無傷だった母親を助け出した。
あとで写真を見せてもらったら、部屋の物が対角線上に飛んでいて
なぜこの状態で無傷だったのか不思議なくらいやった。
1週間後からは私も仕事に行かないといけなくなり
THE YELLOW MONKEYの「jaguar hard pain」と「smile」を聴きながら
自転車で遠くの駅まで行って、山陽電車で明石まで1ヶ月通った。
明石や神戸に住んでいる人はあいかわらず飲まず食わずで、
こちらから食料を差し入れすると、むさぼる様に食べていた。
神戸からも姫路からも物流がこない明石はパンも水もろくになかった。
たしかJRが完全復旧するまでに2~3ヶ月
ガス・水道が復活するまでは3~4ヶ月かかった。
新幹線の高架橋が陥没して2~3ヶ月は不通やった。
地震から7日後にL'Arc~en~Cielファンクラブ発足イベントがあり
電車が復旧していないため行けない、会報0号だけでも郵送してほしい
とファンクラブに電話すると
「来れないのはお客様の都合ですから、無理です」と。
比較的被害が少なかった地域に住んでいたものの
職場の状態はひどく、バイトの人の中には家族が行方不明の人もいた。
そんな中、イベントどころではない。泣く泣く諦めた。
15年か…
いままであんまり話したことなかった話。
ファンクラブの話はよくしてるか
~THE YELLOW MONKEY アルバム「smile」~
『争いの街』作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
そして僕は一人になった そして僕は途方にくれる
そして今は少し平和さ 君の銀の指輪を握りしめて
朝焼けの空の下 汽車に乗る
初めて君と出合ったのは 寒い冬の繁華街
少し軽そうに見えたから
妙に真面目な口調で声かけた
君はそれを見抜いてた
笑いながら……
時間が許す限り君に逢いに行こう
だけど時代はそれを許してはくれない
外は火の海 僕のこの恋も
同じように燃えていた
赤茶けたレンガの壁 焼けこげて歩きづらい道
君の肩と不安を抱いて
汚れた灰色のコートを着て
息をひそめ急ぐのさ
いつもの隠れ家でくちづけを続けよう
戒厳令がラジオで流れてる
君は声を殺し感じてた
嫌な予感も感じてた
外は火の海 僕のこの恋も
同じように燃えていた
争いの街で君と恋に墜ちた
ただひたすら手を握りしめた
それは瞼の中 それは胸の奥に
今も閉じ込めたまま
そのままさ……
今は静かな街に眠った
君の指輪を握りしめ
外は青い海 僕のこの恋も
希望に満ちていた
僕は今汽車に乗りetc.
僕はただ汽車に乗りetc.
etc.etc.etc.……
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
じゅじゅ
「1年とちょっと前」の
2010年1月17日にmixiの方で書いた日記です。
そのまま載せていますので
不適切な表現があればお許しください
以下長文です。
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昨日、家に帰ったら1.17.のドラマをやってた。
見ないつもりやったから、録画してなかったんやけど
けっきょく最後まで見た。
あんなに簡単なもんやない。
最初から見てないくせに言うなって話やけど。
~1995.1.17.~
早朝、なぜか『あ、地震がくる!』と目が覚めた。
直後にユサユサ揺れだして、夢かと思ったけど
物が倒れだしたので、現実と知った。
近所に住んでる友達から 真っ先に電話があって神戸が酷いと。
自分が怖い思いをしたことで頭がいっぱいだった私は
まさかこんなに被害がでてるとは思いもしなかった。
テレビでは、死者数人、数十人、数百人と情報が錯綜していた。
電話も通じず、どうしていいかわからなかった私はとりあえず行かないと!
と車に乗って神戸へむかった。道路があんなことになってるとも知らずに。
2時間経っても、1駅分も進めなくてしかたなく引き返した。
半日後にようやく、無事が確認できた。
彼氏とそのお母さんが30キロの道のりを徒歩で避難してきたのはその2日後。
2日間ほとんど飲まず食わずの後、30キロの道を歩いてやってきた。
車も電車もバスも、電気も水道もガスもなにもかも通ってなかった。
ガスが復旧し、ヒビの入ったマンションが安全と認定されるまで
お母さんはお兄さんのマンションに、彼氏はうちに住む事になった。
申し訳ないとお母さんにも謝られた。
彼氏はうちに来てもずっと心臓の音が異常に早くて、よっぽど怖い思いをしたんやと思った。
食器棚が倒れてガラスが割れた上を裸足で歩き、
タンスとタンスのあいだで奇跡的に無傷だった母親を助け出した。
あとで写真を見せてもらったら、部屋の物が対角線上に飛んでいて
なぜこの状態で無傷だったのか不思議なくらいやった。
1週間後からは私も仕事に行かないといけなくなり
THE YELLOW MONKEYの「jaguar hard pain」と「smile」を聴きながら
自転車で遠くの駅まで行って、山陽電車で明石まで1ヶ月通った。
明石や神戸に住んでいる人はあいかわらず飲まず食わずで、
こちらから食料を差し入れすると、むさぼる様に食べていた。
神戸からも姫路からも物流がこない明石はパンも水もろくになかった。
たしかJRが完全復旧するまでに2~3ヶ月
ガス・水道が復活するまでは3~4ヶ月かかった。
新幹線の高架橋が陥没して2~3ヶ月は不通やった。
地震から7日後にL'Arc~en~Cielファンクラブ発足イベントがあり
電車が復旧していないため行けない、会報0号だけでも郵送してほしい
とファンクラブに電話すると
「来れないのはお客様の都合ですから、無理です」と。
比較的被害が少なかった地域に住んでいたものの
職場の状態はひどく、バイトの人の中には家族が行方不明の人もいた。
そんな中、イベントどころではない。泣く泣く諦めた。
15年か…
いままであんまり話したことなかった話。
ファンクラブの話はよくしてるか
~THE YELLOW MONKEY アルバム「smile」~
『争いの街』作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
そして僕は一人になった そして僕は途方にくれる
そして今は少し平和さ 君の銀の指輪を握りしめて
朝焼けの空の下 汽車に乗る
初めて君と出合ったのは 寒い冬の繁華街
少し軽そうに見えたから
妙に真面目な口調で声かけた
君はそれを見抜いてた
笑いながら……
時間が許す限り君に逢いに行こう
だけど時代はそれを許してはくれない
外は火の海 僕のこの恋も
同じように燃えていた
赤茶けたレンガの壁 焼けこげて歩きづらい道
君の肩と不安を抱いて
汚れた灰色のコートを着て
息をひそめ急ぐのさ
いつもの隠れ家でくちづけを続けよう
戒厳令がラジオで流れてる
君は声を殺し感じてた
嫌な予感も感じてた
外は火の海 僕のこの恋も
同じように燃えていた
争いの街で君と恋に墜ちた
ただひたすら手を握りしめた
それは瞼の中 それは胸の奥に
今も閉じ込めたまま
そのままさ……
今は静かな街に眠った
君の指輪を握りしめ
外は青い海 僕のこの恋も
希望に満ちていた
僕は今汽車に乗りetc.
僕はただ汽車に乗りetc.
etc.etc.etc.……
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じゅじゅ
