10月27日(月)の毎日新聞「うたは奏でる」に染野太朗さんが「「わかる」とは」という文章を寄せている。
短歌をどう読んだらいいのかわからない、と言う短歌初心者。「今すぐ正式な読み方が知りたい、わからないと落ち着かない、のけ者にされた気になる」という気持ちもわかるとした上で「しかし本当の問題は、わからないものに対する私たちのそういった反応にあって、短歌そのものや、わからないこと自体にはないのだと思う。」と染野さんは述べる。
これを読んだときウワ~と思ったのは、ちょうど先日行われたまひる野北海道支部歌会で同じようなことを考えていたから。
(わたしは6月でまひる野を退会したのですが北海道支部歌会はご厚意により引き続き参加させてもらっているのです)
このあいだの歌会は、「わかりやすすぎる歌」と「わかりにくい歌」が目立つ歌のラインナップで、前者は「説明に終始している歌」、後者は「知識や想像力が必要な歌」に分類されるかと思う。
ちなみに私が出した自由詠は「花束に花の束なる密度ありそののちやってくる名探偵」という歌。点は入ったけど「よくわからないが面白い」という評価がほとんどで、点を入れなかった人からは「名探偵」が何なのかわからない、特定のキャラクターを想像してしまってそれが歌の妨げになってしまった、という声が上がっていた。
歌がわからないときはどうしたらいいんだろう。
歌に詠まれた固有名詞や鳥の鳴き声は、調べればわかる。
でもわからないものを調べて知ることができたらわかったことになるんだろうか。
そして調べてもわからないものはどう読めばいいのか。
二次会の居酒屋で歌会を振り返っているときに隣に座っていたPさんが「歌を選ぶときに、いい歌を選ぶというよりは自分がわかる歌、コメントしやすい歌を選んでしまうことがある」といったことをつぶやいていて激しく頷いた。わたしもびびってそんなふうに票を入れたことがあるし、他の人の評を聞いていてそう感じることもある。
「しかし本当の問題は、わからないものに対する私たちのそういった反応にあって、短歌そのものや、わからないこと自体にはないのだと思う。」という染野さんの文章がクリティカルすぎる。
手前味噌だけど『ヒューマン・ライツ』の批評会での平岡直子さんの発言を引いてみます(文字起こししておいてよかったわ)。参加された方は思い出してみてください。
モチーフだけに限らず、北山さんの歌、わかんないですよね。 89 ページの「新緑が全速力で走ってる」。なんのことだかわからない 。三上さんが引いてらっしゃった「豆」(「トリミングサロンの窓にくっついて 犬を見ている子供たち、豆」)も全然わからない。<才能があると思えば冷たくて富士山ぐんぐんのぼれそうなり>、「冷たくて」とか「富士山ぐんぐん」にびっくりするんだけど びっくりすることでわかってるだけなんじゃないかな。
〔中略〕
(筆者註:男性ゆえにペンダントというアクセサリーに馴染みがなく解釈がうまくできない旨の発言に対して)
ペンダントのクオリアがわからなくても、一首の歌のかたちのなかでなにかが垂れ下がっているな みたいなところは捕まえることができるじゃないですか。
平岡さんがゴールデンカムイの「不死身の杉元」を知らなくて「俺は不死身だ~!とイキっている小学生男子の杉元くん」と解釈していたことなども思い出す。
「短歌が「わかる」とは、いったいどういうことなのだろう。」
染野さんの文章は「わからない」からそもそも「「わかる」とは…」という問いを残して終わる。
どこかに「正解は〇ページ」って書いてないかな。ないか。
トンチンカンなことを言って誰かにバカにされるかもしれないけれど、ビビッて逃げ腰にはなりたくないよな。