北山あさひのぷかぷかぷー

北山あさひのぷかぷかぷー

袋小路の抜け出し方

掲載情報(2025年)

◆天野陽子さん歌集『ぜるぶの丘で』(角川書店)
 栞「たとえどこに住んでも」

◆うた新聞 3月号
 川本千栄さん歌集『裸眼』書評「心と身体と歌と」

◆青磁社通信vol.33
 江戸雪さん歌集『カーディガン』書評「冴えわたる言葉」

◆三潴忠典さん歌集『曲がらなければ伊勢まで行ける』(現代短歌社)
 栞「道は続いている」

◆「短歌」10月号 特集「自然詠の冒険」
 論考「ふみ子について」

明けましておめでとうございます。

 

年末は低気圧にやられたのか27、28、29と頭痛で絶不調、加湿器も壊れて顔面カッピカピ、そして母と蕎麦を食べているときに口の中を噛んで口内炎になったためご馳走を食べる気が失せ、怪我の功名?でいつもよりスリムなお正月となりました。

 

昨日(3日)は今年初めてのジムへ。いつもの倍くらい人がいる、しかも全員中高年。みなさんわたしなんかよりも本当に元気です。

腰痛対策としてお尻の筋肉を鍛える「ランジ」を続けているのですがいっこうに辛いままで必ず筋肉痛になる。ほんとうに鍛えられているのだろうか。頼むよわたしの尻筋。

 

1月は25日(日)深夜に特別番組「HTB歌会」の放送があります。

それに先駆けて14日(水)ココノススキノ内MID.α STUDIOにてHTBの土屋まりアナウンサーとトークします。ココノススキノ内で聴ける公開ラジオ?みたいな。YouTube生配信もあるらしいです。

それから31日は旧永山邸歌会、2月はエルプラザで短歌について講演をさせていただく予定です。詳細は追ってお知らせします。

すっかり忘れていたけど現代短歌社賞のアレで京都にも行くんでした。京都で誕生日を過ごします。焼肉が食べたい。

原稿依頼も引き続きお待ちしております。

 

2026年も引き続きよろしくお願いします。

昨日、無事に仕事を納めました。

ここから大晦日までの数日が一年の中でいちばん好きです。

久しぶりにフリーペーパーを作りました。

 

①忘年会的宝島

 

わたしの好きな人たちを集めて短歌5首と「今年読んでよかった歌集」について書いていただきました。

 

参加者

伊藤すみこ、空木洞、大野理奈子、北山あさひ、鈴木精良、塚田千束、服部真里子、樋口智子、三潴忠典(敬称略) 

 

ネットプリントかPDFダウンロードでお読みいただけます。

・ネットプリント(セブンイレブンのみ)

 予約番号 予約番号 19747090、1月4日23:59まで。

・PDFダウンロード 下記リンクより

 

北山は「来年もよろしく」5首と、小島なおさんの発売したばかりの歌集『卵降る』(左右社)について書きました。

年末の読書にぜひ。

 

➁忘年会 2025

 

こちらは個人的に一年を振り返ったものです。

今年は旧永山邸歌会でいろんな催しをしたり、HTB歌会を初開催したり、子宮筋腫の手術を受けたり、文フリ用に個人誌を作ったり、ほんとうに色々ありました。

PDFはこちらから。

 

 

来年も引き続きよろしくお願いします!

 

 

先週ですがNHKラジオ「文芸選評」出演しました。

途中、オンラインの回線が切れて音声が聞き取りにくかったところがありました。さらに、それに動揺してわけのわからないことを喋ってしまいました。テレビの仕事をしている人間としてあるまじき失態……たいへん失礼しました。

歌を送ってくださったみなさま、ありがとうございました。

 

いちおう明日まで聞き逃し配信があります。よろしければお聞きください。

 

10月27日(月)の毎日新聞「うたは奏でる」に染野太朗さんが「「わかる」とは」という文章を寄せている。

短歌をどう読んだらいいのかわからない、と言う短歌初心者。「今すぐ正式な読み方が知りたい、わからないと落ち着かない、のけ者にされた気になる」という気持ちもわかるとした上で「しかし本当の問題は、わからないものに対する私たちのそういった反応にあって、短歌そのものや、わからないこと自体にはないのだと思う。」と染野さんは述べる。

 

これを読んだときウワ~と思ったのは、ちょうど先日行われたまひる野北海道支部歌会で同じようなことを考えていたから。

(わたしは6月でまひる野を退会したのですが北海道支部歌会はご厚意により引き続き参加させてもらっているのです)

 

このあいだの歌会は、「わかりやすすぎる歌」と「わかりにくい歌」が目立つ歌のラインナップで、前者は「説明に終始している歌」、後者は「知識や想像力が必要な歌」に分類されるかと思う。

ちなみに私が出した自由詠は「花束に花の束なる密度ありそののちやってくる名探偵」という歌。点は入ったけど「よくわからないが面白い」という評価がほとんどで、点を入れなかった人からは「名探偵」が何なのかわからない、特定のキャラクターを想像してしまってそれが歌の妨げになってしまった、という声が上がっていた。

 

歌がわからないときはどうしたらいいんだろう。

歌に詠まれた固有名詞や鳥の鳴き声は、調べればわかる。

でもわからないものを調べて知ることができたらわかったことになるんだろうか。

そして調べてもわからないものはどう読めばいいのか。

 

二次会の居酒屋で歌会を振り返っているときに隣に座っていたPさんが「歌を選ぶときに、いい歌を選ぶというよりは自分がわかる歌、コメントしやすい歌を選んでしまうことがある」といったことをつぶやいていて激しく頷いた。わたしもびびってそんなふうに票を入れたことがあるし、他の人の評を聞いていてそう感じることもある。

「しかし本当の問題は、わからないものに対する私たちのそういった反応にあって、短歌そのものや、わからないこと自体にはないのだと思う。」という染野さんの文章がクリティカルすぎる。


手前味噌だけど『ヒューマン・ライツ』の批評会での平岡直子さんの発言を引いてみます(文字起こししておいてよかったわ)。参加された方は思い出してみてください。

 

モチーフだけに限らず、北山さんの歌、わかんないですよね。 89 ページの「新緑が全速力で走ってる」。なんのことだかわからない 。三上さんが引いてらっしゃった「豆」(「トリミングサロンの窓にくっついて 犬を見ている子供たち、豆」)も全然わからない。<才能があると思えば冷たくて富士山ぐんぐんのぼれそうなり>、「冷たくて」とか「富士山ぐんぐん」にびっくりするんだけど びっくりすることでわかってるだけなんじゃないかな。

 

〔中略〕

 

(筆者註:男性ゆえにペンダントというアクセサリーに馴染みがなく解釈がうまくできない旨の発言に対して)

ペンダントのクオリアがわからなくても、一首の歌のかたちのなかでなにかが垂れ下がっているな みたいなところは捕まえることができるじゃないですか。

 

平岡さんがゴールデンカムイの「不死身の杉元」を知らなくて「俺は不死身だ~!とイキっている小学生男子の杉元くん」と解釈していたことなども思い出す。

 

「短歌が「わかる」とは、いったいどういうことなのだろう。」

染野さんの文章は「わからない」からそもそも「「わかる」とは…」という問いを残して終わる。

どこかに「正解は〇ページ」って書いてないかな。ないか。

 

トンチンカンなことを言って誰かにバカにされるかもしれないけれど、ビビッて逃げ腰にはなりたくないよな。

 

 

 

 

もうすぐ11月号が出てしまいますが「短歌」10月号の特集「自然詠の冒険」に「ふみ子の場合」という文章を載せていただいています。

帯広出身の歌人・中城ふみ子の木や雪を詠んだ歌について書きました。「冒険」はどこかへ行ってしまいましたが、よかったら読んでみてください。

 

 

前にこのブログを更新したのが8月の文フリのとき。

その後、北海道図書館大会での講演、旧永山邸歌会の特別版・天野陽子さんの『ぜるぶの丘で』を読む会、HTB歌会、現代短歌社賞の選考会と怒濤のように9月が過ぎ、10月もみるみるうちに残りが少なくなってきました。

実は文フリの日は子宮筋腫の手術で入院していたので8月も通院でバタバタしていたし。

ようやく一段落ついてほっとしています。

 

現代短歌社賞の選考会は二泊三日で、前日はひたすら準備(ホテルの部屋がすごく暗くて何かを読んだりできる状況ではなかったので、近くのスタバに4時間くらい籠っていた)、選考の翌日は午前中の便だったので京都観光をする暇など一瞬もなく。大好きな伊勢丹の地下でお土産を買うことすらできず、伊丹空港でミャクミャクの隙間をぬって関西風うどんを食べて帰ってきました。

次は1月の授賞式で行く予定なので、そのときはもう少し京都を楽しめたらいいな。