38年前、妹が入院した日から父が書いていた闘病日記を改めて読むと…

どんなに怖くて不安だったか…胸が痛む…

たった15歳で、しかも心臓の手術を受けなければならない…

入院前、私に「私、死ぬの?お姉ちゃん死にたくない😭」って私にしがみついて泣いてた妹…

「そんな訳ないよ、大丈夫だよ」と抱きしめてなだめる事しか出来ない私…

妹の不安は計り知れないものだったと思う。

5月19日に入院し、毎日家に何度も電話してきてたようです。(父の日記に回数まで書いてありました)

6月20日、朝8時40分ストレッチャーで手術室に向かう妹…泣いてました😭

①重症な大動脈弁狭窄症

②大動脈弁上部狭窄症

③抹消性肺動脈狭窄症

詳しい検査でこの3つの診断され①と②の手術をするためにオペ室に…

私は祖母が家に居たので18時に一旦自宅に戻る。

次の日の朝、電話がなり…

父から「妹が危篤状態、すぐ病院に来て」と言われ、祖母とタクシーで1時間かけて病院に向かいました。

病院に着くと妹は、「弁置換手術の際、血管がもろく縫い合わせようとしたら裂けて輸血で命を繋いでる状態…このままではダメなので再手術する」と言う状況になってました。

病棟のICUに行き、妹を見た私はショックでした。

機械やら点滴やお腹に管が沢山付いていて…

言葉をかける事が出来なかった…

とにかく出血を止めなければ危ないと言う状況で14時15分(21日)に再び手術室に降り、戻って来たのが1時(22日)頃…

20日~22日の間に2度の手術…

その間、本人意識ありましたから…

色んな機械が付いて、全部わかっていたと思います。

何とか出血も止まり食事も出来るようになり、母が付きっきりで看病していたかいもあり元気になり開けっ放しだった胸骨を閉じる手術も終わり個室にも移り元気になって…と思っていた矢先…

母がちょっと部屋から離れてた時に、容態が急変‼️

部屋に戻った母が目にした光景は、先生や、看護師さんが慌てて処置してる様子。

母が離れた少しの時間に妹の心臓が止まったと…

苦しくなり自分でナースコールのボタンを押した様です。

母が泣きながら電話してきて急いで病院に向かいました。

先生の話によると、胸を開けて見ないと分からないので手術します。と…

7月21日 22時~3度目の手術。

翌22日 1時40分に手術が終わり病棟ICUに戻る。先生の話によると、出血があった為心臓が圧迫され心停止した。と…

もろくなって交換した血管以外からジワジワと出血してたと思われる…と説明された。

母は自分が離れなければ…と自分を責め…

その日の夜、泣きながらご飯を食べたみたい💦

21日に容態が急変して意識が無くなってから、20日後の8月10日の朝、8時20分心停止し心臓マッサージを30分してくれたのですが…

母が「もう止めてください」と泣きながら先生に言い…

8時50分 妹は15歳と言う若さで永眠しました。

心臓マされて、口や鼻から出血してきて、母も辛くなったんでしょうね…

前日夜に、肺·腎臓·心臓が悪くなってきて1~2日が山だ…と説明されていたから…

9日にその説明を受け、交代で妹に付き添いする事になり私が最初に付き添いしたのですが…

椅子に座った瞬間、突然睡魔に襲われ…

「母さん、代わって」って、結局息を引き取るまで母がそばにいました。ママっ子でしたからね…


自宅に戻り翌11日の夜にお通夜、12日告別式…となり出棺…

すると、ご高齢の叔母様達が「親より先に亡くなるのは親不孝だから母親は火葬場に行けない」とか言い出し…

17歳だった私、妹の闘病生活知らないご高齢の方々の言葉にキレ「妹は生きようと頑張ってたんだから親不孝じゃない、だから母さんも最期まで一緒に行って見送ってあげよう。行くよ‼️」とバスに乗せて行きました。何と生意気な娘ですよね(笑)

でも、妹は最期の最後まで母に傍に居て欲しかった子でしたし、母も最期まで一緒に居てお別れしないと…と思い…口出ししました。

昔のしきたり?を無視して、後悔はありません😅

母と妹の84日間。

38年経っても忘れられませんね…

妹の手術に比べたら私の膵頭十二指腸切除術12時間の手術なんて…全然です😅


だから私は強く生きる事にします。

母もまだ76歳、ひ孫のお世話するまで元気で居て欲しいです🤗