[泥酔論説委員の日経の読み方] | 朝の書評

[泥酔論説委員の日経の読み方]

泥酔論説委員の日経の読み方

2008/03/21 (金) 09:13:20 世界の構図を変えたイラク戦争の5年(抜粋)

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=329372&log=20080321

大量破壊兵器はなかった、サダム・フセインとアルカイダとの直接的な関係はなかった、これら開戦の「大義」について大きな問題があったのは事実です。
ただ、戦争を始める時はどっちが善でどっちが悪だなんてのはないと捉えるのが現実主義です。
太平洋戦争にしても、日本は「自存自衛」であり、アメリカは「パールハーバー」というお互いの「大義」でもって戦いました。
結局、正義か不正義かを決めるのは、大義でも歴史家でもなく、勝利か敗北かと言う結果でしかありません。
その意味で、フセイン政権を倒したブッシュ政権は正義を行使したと言えます。
 ちょっと待って、「その意味」ってどの意味ですかー!
 「力は正義なり」というのは、もう少しアイロニーを込めて使われていた言葉だったんじゃないでしょうか。
 そもそも大義に大きな問題があってもOKなら、最初から「大義は大きな問題ではない」と書けばいいのであって、冒頭で「大きな問題があったのは事実」とわざわざ言うのは変ですね。「大義には大きな問題があったが、大義自体は小さな問題」ってことでしょうか。だとすると、結局「大義は小さな問題」ってだけのことでしょう。なぜいちいち回りくどい言い方をするのか。てゆうか、大きな問題を大義と言うのです。
 「大義」で話を始めながら、途中で「正義」と微妙に言葉をすり替えていますが、「正義かどうかは大義ではない」というのは、このブロガーの特殊な言葉の使い方です。一般的な言葉の使い方では、大義は、正義を含むより広い意味でしょう。ですから、大義がないのに正義だけがあるというのは、おかしいのです。ブッシュ政権が正義を行使したならば、イラク戦争には大義があったことになります。
 「大量破壊兵器はなかった、サダム・フセインとアルカイダとの直接的な関係はなかった」というのは、普通の言葉の使い方において、イラク戦争の正義には大きな問題があった、ということです。
 しかしそう言ってしまうと、つまり冒頭で「イラク戦争の正義には問題があった」、結論で「イラク戦争は正義の行使だった」と並べて書くと、イカサマがあからさまになりすぎるので、それをごまかすために、「大義」と「正義」という言葉を微妙に使い分け、辞書に載ってない奇妙な定義づけをしているわけです。
 サラッと味の電波。
 実はかなり強力。
 この手の文章にはパターンがあるようです。とりあえず冒頭では、誰もが納得できるような命題を書いておく。そしてその実、論理的にはそれと繋がらない結論。こっちが本音なんですね。サーッと読んでると案外騙されて、結論だけ無意識に残るので、ほんと、こういう手口には気をつけたいものです。