釈尊のさとり
- 増谷 文雄
- 釈尊のさとり
そのとき、ゴータマ・シッダッタは何を悟ったのかについての研究を講演会で発表して、それを筆に起こしたもののようです。大体のところ、この著者が言うには、彼が悟ったのは、無知が執着を生み、執着が苦悩を生むから、真理を悟って執着をなくせば、苦悩もなくなる、ということのようです。なるほど、ごもっともって感じですよね。
どうやら、仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタは、どちらかと言えば哲学者のようなタイプの人で、仏教のそもそもの出発点は、キリスト教とかイスラム教とか、あるいは日本神道みたいなものとはかなり違うみたいです。
ただ、哲学者が真理を探究するのに対して、ゴータマ・シッダッタは、迷いの生涯っていうんですか、煩悩から自由になることを第一に考えた人なんでしょうね。だから「一切皆苦」はペシミズムじゃなくて、すべての苦しみを根本的に取り除くという決意表明なんですね。ついでに「諦観」を辞書で引くと、諦めちゃうってのは二番目の意味で、「1.本質をはっきりと見きわめること」とありました。
で、彼の言う真理とは何かっていうと、間違った考えとか考え方の歪みとか錯覚とかから執着が生ずるってことだろうと思いますが、以前に、認知行動療法による鬱の治療をテレビでやってましたけれども、気持ちが落ち込むたびにそれをノートに書いて、考え方の歪みを直すことによって鬱を直すらしくて、それって実はお釈迦様のやり方に近いのかなという感じを受けました。
私のつたない個人的経験を紹介すると、妙に眠れない夜なんぞに、堂々巡りで過去のこれが失敗だった、あれが悪かったとずっと考え続けて、ふと、その考えはすべて論理的で正しいものであるけれども、今夜、心安らかに眠り、明日、しっかり仕事をして自分の人生を守っていくということには、まったく役に立たないどころか大いにマイナスである、と気付きました。でも気付いても、またグダグダ思い悩んでしまうことの繰り返しなんですけどね。迷いの生から抜け出すのにまったく修行が足りないんです。
けれどもそんなときこれを読むと、二千五百年も前から人間は悩んできたのだとわかり、少し気が楽になるようです。わずか90ページの薄い文庫本で、話し言葉で書かれてあるので読みやすいです。また気が滅入ったときに取り出して再読すると思います。