物語の構造分析 | 朝の書評

物語の構造分析

ロラン・バルト, 花輪 光
物語の構造分析
大変お久しぶりでございます。意識して本を読もうと努力しないと、なかなか読めないものですね……。新緑のころ、気持ちも新たに頑張ります。
ようやくロラン・バルトを読んでみました。タイトルだけ見て、何か小説の書き方と関係あるのかなと期待していたのですが、あまり関係ないようです。バルトは物語の構造分析をする際、プロップやグレマスを参照しています。私はプロップもグレマスも読んだことがないのですが、どうやら彼らは、昔話を、欲望とか贈与者とかの機能に還元し、プロットを類型化して、それを物語の構造と呼んだようです。またバルト自身、聖書の物語を分析して、そこから「敵対する兄弟」という意味を読み取っています。バルトはまた別のくだりで、コーヒーが広告の中で休憩の記号として使われていることを説明しますが、つまりは物語の記号論的解釈というものでしょう。結局、本書でバルトが小説の構成に触れたのは第1章のみで、後は社会の中の「物語」を記号論的に分析しています。その中には日本の文楽や芭蕉の俳句なども取り上げられていて、なかなかおもしろかったです。
一方で、このような「物語」の記号は、シクロフスキーにおいては、ファーブラ(素材)と呼ばれ、シュジェート(構成)を中心とした小説の構成の分析から厳しく追放されています。
フォルマリズムは、構造主義や記号論に影響を与えたとされており、実際、本書でもフォルマリズムへの好意的言及がありますが、小説の構成の分析に関連して、ブレヒトの名前を挙げても、またプロップやレヴィ=ストロースを参照しても、ついぞシクロフスキーは出てきませんでした。
実は、私は、今のところ、シクロフスキーとロラン・バルトをそれぞれ1冊ずつ読んだだけであるので、何か結論めいたことを言うには知識が足りなさ過ぎるのであって、これは現時点での単なる妄想程度のものかもしれませんが、せっかく小説の構成を取り上げながら、またフォルマリズムに親しみを持っていると公言しつつも、ロラン・バルトからは、フォルマリズムが(詩や演劇ではなく)小説の構成を分析した部分が、なぜかごっそり抜け落ちているように見えます。

登場人物の登場過程
http://juji.hp.infoseek.co.jp/essay/tojojinbutsu.htm