http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1898403294&owner_id=26825206
シャンタンさんにご了承頂きmixi日記から転載しています。
・・愛する者にとっては、死はない。
愛のない者には、一瞬ごとが死だ。
なぜなら、一瞬一瞬、何かが彼から奪い取られているからだ。
肉体は消えつつある。
一瞬ごとに失われつつある。
そして、そうなったら死が現れ、あらゆるものが消滅してしまう。
その恐怖は何なのだろう?
あなたは何を怖れているのだろう?
たとえ、あなたに関することは何でも知られていて、
あなたは1冊の開かれた本だとしても、それでも怖れるかね?
何故?
どうしてそのことが、あなたに害を及ぼせよう。
それは間違ったとらえ方だ。
社会によって与えられる教育、条件づけだ。
隠さなければならない。
自分を護らなければならない。
常に闘志を燃やしていなければならない。
あらゆる人が敵だ。
あらゆる人が、あなたに反対している・・
誰もあなたに反対している人などいない!
誰かが反対していると感じたとしても、
それはその人があなたに反対しているからではない。
誰も皆、自分自身のことに関わっているからだ。
あなたのことではない。
怖れるものは、何もない。
このことに気がつかなければ、真の関係は起こり得ない。
怖れるものは何もないと・・このことに瞑想してごらん。
それから、他者があなたの内に入るのを許すのだ。
あなたの内部に入るよう、他者を招待するがいい。
そして、どこにも障害を作らないこと。
通路になりなさい。
いつも開放していることだ。
あなたの上には、鍵もなければ扉もない。
閉ざされた扉は1つもない。
そうなったら、愛は可能だ・・
2つの中心が出会う時、そこに愛がある。
そして愛とは、錬金術的な現象だ。
ちょうど、酸素と水素が出会うと、新しい物質、水が創られるのと同じ。
あなたは酸素を持ち歩くことが出来る。
水素を持ち歩くことも出来る・・が、
もし喉が渇いて来たら、どちらも無用の長物だ。
欲しいだけの酸素を持てるし、好きなだけ水素も持てる。
しかし、渇きは消えはしない。
2つの中心が出会う時、1つの新しいものが創り出される・・
その新しいものとは、愛のこと。
それはまるで水のようなもの。
何生にもわたってあった渇きが満たされるのだ。
突如として、あなたは充足される。
それこそ目に見える愛のしるし。
あたかも何かを成就したかのように、
あなたが満足しているというそのことだ。
今や成就すべきものは何もない。
あなたはゴール(終着点)に到達した。
もうこれ以上ゴールはない。
目的は充足された。
種は花となった。
全面的な開花に至ったのだ・・
深い充足感こそ、目に見える愛のしるしだ。
人が恋に落ちている時には、彼らは深い充足感の内にある。
愛自体は、目に見えない。
が、その周りの充足感、その深い満足感、その呼吸の一息一息、
動きのひとつひとつ、その存在そのものが満ち足りている・・
愛は人を無欲にすると私が言ったら、あなたは驚くかもしれない。
欲望とは不満にともなってあるもの、あなた方は自分にないから欲する。
あなた方は、もし自分にこれがあったら
きっと満足するだろうと考えて欲する。
欲望とは、不満から生まれるものだ。
愛がある時には、2つの中心が出会い、溶け合い、
没入し合う時には、ある新しい錬金術的な質が生まれる
・・そして、そこには充足感がある。
それはあたかも「実在」全体がストップして、
動きが一切なくなったかのようだ。
そうなったら、現在の瞬間が唯一の瞬間になる。
そうなったら、あなたにも言える。
「ああ、この菓子はうまい!」と・・
死さえ、愛の内にいる人にとっては何の意味も持たない。
だから、私はあなた方に言う。
愛は、あなたを無欲にすると・・
怖れることはない。
怖れを落として、オープンでいてごらん。
他者の中心が、あなたの中心に出会うのを許すがいい。
あなたはそれによって、再び生まれ変わる。
存在の新しい質が創り出されるのだ。
存在の質は言う。
「神」は在る・・と。
「神」は論議ではなく、
ある充足、充足を感じ取る感覚(フィーリング)のことだ。
シャンタンさんにご了承頂きmixi日記から転載しています。・・愛する者にとっては、死はない。
愛のない者には、一瞬ごとが死だ。
なぜなら、一瞬一瞬、何かが彼から奪い取られているからだ。
肉体は消えつつある。
一瞬ごとに失われつつある。
そして、そうなったら死が現れ、あらゆるものが消滅してしまう。
その恐怖は何なのだろう?
あなたは何を怖れているのだろう?
たとえ、あなたに関することは何でも知られていて、
あなたは1冊の開かれた本だとしても、それでも怖れるかね?
何故?
どうしてそのことが、あなたに害を及ぼせよう。
それは間違ったとらえ方だ。
社会によって与えられる教育、条件づけだ。
隠さなければならない。
自分を護らなければならない。
常に闘志を燃やしていなければならない。
あらゆる人が敵だ。
あらゆる人が、あなたに反対している・・
誰もあなたに反対している人などいない!
誰かが反対していると感じたとしても、
それはその人があなたに反対しているからではない。
誰も皆、自分自身のことに関わっているからだ。
あなたのことではない。
怖れるものは、何もない。
このことに気がつかなければ、真の関係は起こり得ない。
怖れるものは何もないと・・このことに瞑想してごらん。
それから、他者があなたの内に入るのを許すのだ。
あなたの内部に入るよう、他者を招待するがいい。
そして、どこにも障害を作らないこと。
通路になりなさい。
いつも開放していることだ。
あなたの上には、鍵もなければ扉もない。
閉ざされた扉は1つもない。
そうなったら、愛は可能だ・・
2つの中心が出会う時、そこに愛がある。
そして愛とは、錬金術的な現象だ。
ちょうど、酸素と水素が出会うと、新しい物質、水が創られるのと同じ。
あなたは酸素を持ち歩くことが出来る。
水素を持ち歩くことも出来る・・が、
もし喉が渇いて来たら、どちらも無用の長物だ。
欲しいだけの酸素を持てるし、好きなだけ水素も持てる。
しかし、渇きは消えはしない。
2つの中心が出会う時、1つの新しいものが創り出される・・
その新しいものとは、愛のこと。
それはまるで水のようなもの。
何生にもわたってあった渇きが満たされるのだ。
突如として、あなたは充足される。
それこそ目に見える愛のしるし。
あたかも何かを成就したかのように、
あなたが満足しているというそのことだ。
今や成就すべきものは何もない。
あなたはゴール(終着点)に到達した。
もうこれ以上ゴールはない。
目的は充足された。
種は花となった。
全面的な開花に至ったのだ・・
深い充足感こそ、目に見える愛のしるしだ。
人が恋に落ちている時には、彼らは深い充足感の内にある。
愛自体は、目に見えない。
が、その周りの充足感、その深い満足感、その呼吸の一息一息、
動きのひとつひとつ、その存在そのものが満ち足りている・・
愛は人を無欲にすると私が言ったら、あなたは驚くかもしれない。
欲望とは不満にともなってあるもの、あなた方は自分にないから欲する。
あなた方は、もし自分にこれがあったら
きっと満足するだろうと考えて欲する。
欲望とは、不満から生まれるものだ。
愛がある時には、2つの中心が出会い、溶け合い、
没入し合う時には、ある新しい錬金術的な質が生まれる
・・そして、そこには充足感がある。
それはあたかも「実在」全体がストップして、
動きが一切なくなったかのようだ。
そうなったら、現在の瞬間が唯一の瞬間になる。
そうなったら、あなたにも言える。
「ああ、この菓子はうまい!」と・・
死さえ、愛の内にいる人にとっては何の意味も持たない。
だから、私はあなた方に言う。
愛は、あなたを無欲にすると・・
怖れることはない。
怖れを落として、オープンでいてごらん。
他者の中心が、あなたの中心に出会うのを許すがいい。
あなたはそれによって、再び生まれ変わる。
存在の新しい質が創り出されるのだ。
存在の質は言う。
「神」は在る・・と。
「神」は論議ではなく、
ある充足、充足を感じ取る感覚(フィーリング)のことだ。
