シャンタンさんのmixi日記コピーです。シャンタンさんにはご了承頂いてます♪
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1891174373&owner_id=26825206
私はダイナミック瞑想に初めて出逢ったとき動かず瞑想する意味が初めて解った。
人にとって何かを気づくには動と静のように2極性で気づくと解りやすい。by Merci
質問
私は「狂気は精神的な崩壊ではなくて、限界を突き抜けることだ」
と言うR・D・レインの言明に行き当たりました。
私達の瞑想法は、精神医学者達にさえ、精神的な崩壊現象と見做されています。
抑鬱症の患者にダイナミック瞑想をさせることは、
正当で倫理的にも正しいことでしょうか?
コメントをお願いします。
osho
R・D・レインは、精神療法の世界に根本的な変革をもたらした。
彼はありきたりの精神医学者ではなく、革命的な精神医学者だ。
彼は、私と私がここでやっていることを理解している。
彼は自分の著書が出るたびに、それを私に送って来る。
彼はここで起こっていること、私が言っていること、私が教えていることを読んで知っている。
彼はロンドンのサニヤシン達とも会っている・・・大いに興味を持ったということだ。
だが彼は革命的であり、彼の洞察は深く、私は彼に全面的に賛成する。
彼は正しい・・・
狂気は精神的な崩壊(ブレイクダウン)ではなく、つき抜けること(ブレイクスルー)だ。
だが、ひとつだけ言っておきたいことがある。
それは、全ての狂気が限界を突き抜けることではない、ということだ。
しかし、あらゆる狂気は限界突破へと変容させることが出来る。
そして、それが精神療法家の仕事であるべきだ。
たとえその狂気が精神的な崩壊であるとしても、
療法家の働きは、その崩壊が突破に変容されるように手助けすることだ。
それより他に、あなたにどんな目的があるというのだろう?
あなたは他に何をやっているのかね?
今までは、精神療法家の働きは
ある人を正常にして、彼を古い自己に立ち戻らせることだった。
そもそも彼の古い自己とは何だったのか?
この狂気の状態をもたらしたのは、彼の古い自己だ。
彼を古い自己に戻すとしたら、あなたは単に
再び同じことが起こることを延期しているに過ぎない。
遅かれ早かれ、彼はまた狂ってしまうだろう。
私の瞑想の手法は、未来の精神療法の手法になるだろう。
伝統的なありきたりの精神医学者は古い考えにしがみついているから、
私の手法に反対するだろう・・・
私は精神的な崩壊を怖れてはいない。
崩壊は単に、変化が始まったことを意味しているに過ぎない。
崩壊は単に、古い全ての策略が、古い全ての安全と保証が、
意味のないものになってしまったことを示しているに過ぎない。
崩壊は、ただあなたの古い人格がもはや
何の役にも立たなくなってしまったことを示しているだけだ。
あなたは新しい存在を必要としている。
新しく生まれ変わらなければならない。
子供が子宮から生まれて来る時、彼はきっとこれは崩壊だと考えていることだろう・・・
そもそも考えるということが出来るなら。
なぜなら彼の全世界が消えようとしているからだ。
子宮、その居心地のよさ、その温もり、その安全、その安心・・・
何の心配もないし、何の責任もない・・・その全てが消えようとしている。
それに子供はあんなに狭い通路を通って来るのだから、
自分は死ぬのだと感じるとしても不思議はない。
そうして彼は、新しい生き方をイロハから習わなければならない。
彼が社会の中で正しく機能するように教育されるには25年もかかる。
だが私達の社会は正常ではない。
私達の社会は神経症的だ。
それは神経症的な政治家、神経症的な聖職者達によって、
何世紀にもわたって支配されて来た。
だから私達は、ひとりひとりの子供を神経症へと改宗させてしまう・・・
ヒンドゥ教の神経症へと、イスラム教の神経症へ、キリスト教の神経症へと。
私達は、ひとりひとりの子供を狂信者に変えて、
もっと狂信的になればなるほど彼を讃えるようになる。
私達は正気の人々を非難して、狂った人々を讃えて来た。
当然のことながら、大衆は狂気の中に留まっている。
全世界が精神的な崩壊を必要としている!
だが、単なる崩壊では助けにはならない。
世界がその崩壊を通り抜ける前に・・・
その日はどんどん近く近くなって来ている・・
崩壊を突破に変容することが出来る手法と方策が開発されて、工夫されなければならない。
それが私の瞑想テクニックだ。
未来の為の準備、これから起ころうとしていることへの準備、
そのなくてはならない準備となるものだ。
人類は崩壊の瀬戸際にいる・・・私達はまさに万策が尽きてしまった。
もはやそれ以上のものはないし、私達は、このやり方をこれ以上続けてゆくことは出来ない。
古いパターンは、生きるところまで生きられてしまった。
それらはみな時代遅れのものになってしまった。
だがあなた方の精神分析医、精神医学者達は、過去に奉仕している。
彼らが私の手法に反対するのはその為だ。
彼らの全努力は、人々をなんとかして取り繕わせておくことにある。
どこかに穴が開けば彼らはそれを取り繕うし、
どこかに傷が出来れば彼らはそれを塗り込めてしまう。
彼らは、あなた方が能率よく機能出来るようにしておく。
彼らは、あなた方の人間性には関心がない。
彼らの関心は、あなたが社会の構成要員に留まって、
機械的に有用でいること、ただそれだけだ。
私の目的は全く異なっている。
私はあなたに人間になって欲しい。
私はあなたがただ人間であるだけでなく、聖なるものにまで高まって欲しいと願っている。
この質問者は外科医であり医師だ。
当然、この疑問が彼の心の中に浮かんで来たことだろう・・・
「抑鬱症の患者にダイナミック瞑想をさせることは、正当で倫理的にも正しいことでしょうか?」
これ以上に正当で、これ以上に倫理的なことがあるだろうか?
・・・なぜなら憂鬱症に苦しんでいることは、
まさに彼があまりにも抑圧されて来たことを示しているに過ぎないからだ。
憂鬱は抑圧に他ならない。
彼は自らを表現することを許されて来なかったがゆえに、深い憂鬱状態の中にある。
ダイナミック瞑想は、ものごとを表面に持ち出すことだ。
自らを表現することで、無意識の中に抑圧されて来た全てのものを
浄化(カタルシス)することで、彼は重荷を降ろし、もっと正常に、より健康的になる・・・
私は人々をより正常にする、と私が言うのはその為だ。
彼らは本当に正常になるのだが、
その正常さの概念はあなた方のそれとは一致しないかもしれない。
そう、彼らは平均的ではないかもしれない・・・
彼らは平均よりは高いだろう。
彼らは生にもっと洞察を持っているだろうし、
その生にはもっと喜びがあるだろうし、
その生にはもっと自由があるだろうし、
もっと反逆性があることだろう・・・
さらなる自由と、さらなる反逆性が。
そして社会と教会は、自由に敵対している。
彼らはあなた方が自由になることを望んではいない。
あなた方が奴隷になることを望んでいる。
彼らの全ての既得権は、あなた方が常に奴隷でいることに依存しているからだ。
彼らがこぞって私に反対しているのは、その為だ。
それは理解出来るし、私は彼らの怒りに少しも驚くことはない。
彼らの怒りは自然だ・・・なぜなら私がここでやっていることは、
ことごとく彼らの全ての構造を揺さぶることであり、
そして時には舟を沈めるには小さな穴だけで充分だからだ。
しかも私は、出来る限り多くの穴を開けようと努力している!
OSHO、The Dhammapada:The Way of The Buddha.Vol.7,#4より抜粋
※R・D・レイン(1927—1989)
イギリスの精神科医。反精神医学運動の中心的人物。
主な著書に
「ひき裂かれた自己」 「自己と他者」 「狂気と家族」 「結ぼれ」 「好き?好き?大好き?」
「レイン我が半生」など多数。
亡くなる直前、プーナのOSHOを訪ねようとしていたらしい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1891174373&owner_id=26825206私はダイナミック瞑想に初めて出逢ったとき動かず瞑想する意味が初めて解った。
人にとって何かを気づくには動と静のように2極性で気づくと解りやすい。by Merci
質問
私は「狂気は精神的な崩壊ではなくて、限界を突き抜けることだ」
と言うR・D・レインの言明に行き当たりました。
私達の瞑想法は、精神医学者達にさえ、精神的な崩壊現象と見做されています。
抑鬱症の患者にダイナミック瞑想をさせることは、
正当で倫理的にも正しいことでしょうか?
コメントをお願いします。
osho
R・D・レインは、精神療法の世界に根本的な変革をもたらした。
彼はありきたりの精神医学者ではなく、革命的な精神医学者だ。
彼は、私と私がここでやっていることを理解している。
彼は自分の著書が出るたびに、それを私に送って来る。
彼はここで起こっていること、私が言っていること、私が教えていることを読んで知っている。
彼はロンドンのサニヤシン達とも会っている・・・大いに興味を持ったということだ。
だが彼は革命的であり、彼の洞察は深く、私は彼に全面的に賛成する。
彼は正しい・・・
狂気は精神的な崩壊(ブレイクダウン)ではなく、つき抜けること(ブレイクスルー)だ。
だが、ひとつだけ言っておきたいことがある。
それは、全ての狂気が限界を突き抜けることではない、ということだ。
しかし、あらゆる狂気は限界突破へと変容させることが出来る。
そして、それが精神療法家の仕事であるべきだ。
たとえその狂気が精神的な崩壊であるとしても、
療法家の働きは、その崩壊が突破に変容されるように手助けすることだ。
それより他に、あなたにどんな目的があるというのだろう?
あなたは他に何をやっているのかね?
今までは、精神療法家の働きは
ある人を正常にして、彼を古い自己に立ち戻らせることだった。
そもそも彼の古い自己とは何だったのか?
この狂気の状態をもたらしたのは、彼の古い自己だ。
彼を古い自己に戻すとしたら、あなたは単に
再び同じことが起こることを延期しているに過ぎない。
遅かれ早かれ、彼はまた狂ってしまうだろう。
私の瞑想の手法は、未来の精神療法の手法になるだろう。
伝統的なありきたりの精神医学者は古い考えにしがみついているから、
私の手法に反対するだろう・・・
私は精神的な崩壊を怖れてはいない。
崩壊は単に、変化が始まったことを意味しているに過ぎない。
崩壊は単に、古い全ての策略が、古い全ての安全と保証が、
意味のないものになってしまったことを示しているに過ぎない。
崩壊は、ただあなたの古い人格がもはや
何の役にも立たなくなってしまったことを示しているだけだ。
あなたは新しい存在を必要としている。
新しく生まれ変わらなければならない。
子供が子宮から生まれて来る時、彼はきっとこれは崩壊だと考えていることだろう・・・
そもそも考えるということが出来るなら。
なぜなら彼の全世界が消えようとしているからだ。
子宮、その居心地のよさ、その温もり、その安全、その安心・・・
何の心配もないし、何の責任もない・・・その全てが消えようとしている。
それに子供はあんなに狭い通路を通って来るのだから、
自分は死ぬのだと感じるとしても不思議はない。
そうして彼は、新しい生き方をイロハから習わなければならない。
彼が社会の中で正しく機能するように教育されるには25年もかかる。
だが私達の社会は正常ではない。
私達の社会は神経症的だ。
それは神経症的な政治家、神経症的な聖職者達によって、
何世紀にもわたって支配されて来た。
だから私達は、ひとりひとりの子供を神経症へと改宗させてしまう・・・
ヒンドゥ教の神経症へと、イスラム教の神経症へ、キリスト教の神経症へと。
私達は、ひとりひとりの子供を狂信者に変えて、
もっと狂信的になればなるほど彼を讃えるようになる。
私達は正気の人々を非難して、狂った人々を讃えて来た。
当然のことながら、大衆は狂気の中に留まっている。
全世界が精神的な崩壊を必要としている!
だが、単なる崩壊では助けにはならない。
世界がその崩壊を通り抜ける前に・・・
その日はどんどん近く近くなって来ている・・
崩壊を突破に変容することが出来る手法と方策が開発されて、工夫されなければならない。
それが私の瞑想テクニックだ。
未来の為の準備、これから起ころうとしていることへの準備、
そのなくてはならない準備となるものだ。
人類は崩壊の瀬戸際にいる・・・私達はまさに万策が尽きてしまった。
もはやそれ以上のものはないし、私達は、このやり方をこれ以上続けてゆくことは出来ない。
古いパターンは、生きるところまで生きられてしまった。
それらはみな時代遅れのものになってしまった。
だがあなた方の精神分析医、精神医学者達は、過去に奉仕している。
彼らが私の手法に反対するのはその為だ。
彼らの全努力は、人々をなんとかして取り繕わせておくことにある。
どこかに穴が開けば彼らはそれを取り繕うし、
どこかに傷が出来れば彼らはそれを塗り込めてしまう。
彼らは、あなた方が能率よく機能出来るようにしておく。
彼らは、あなた方の人間性には関心がない。
彼らの関心は、あなたが社会の構成要員に留まって、
機械的に有用でいること、ただそれだけだ。
私の目的は全く異なっている。
私はあなたに人間になって欲しい。
私はあなたがただ人間であるだけでなく、聖なるものにまで高まって欲しいと願っている。
この質問者は外科医であり医師だ。
当然、この疑問が彼の心の中に浮かんで来たことだろう・・・
「抑鬱症の患者にダイナミック瞑想をさせることは、正当で倫理的にも正しいことでしょうか?」
これ以上に正当で、これ以上に倫理的なことがあるだろうか?
・・・なぜなら憂鬱症に苦しんでいることは、
まさに彼があまりにも抑圧されて来たことを示しているに過ぎないからだ。
憂鬱は抑圧に他ならない。
彼は自らを表現することを許されて来なかったがゆえに、深い憂鬱状態の中にある。
ダイナミック瞑想は、ものごとを表面に持ち出すことだ。
自らを表現することで、無意識の中に抑圧されて来た全てのものを
浄化(カタルシス)することで、彼は重荷を降ろし、もっと正常に、より健康的になる・・・
私は人々をより正常にする、と私が言うのはその為だ。
彼らは本当に正常になるのだが、
その正常さの概念はあなた方のそれとは一致しないかもしれない。
そう、彼らは平均的ではないかもしれない・・・
彼らは平均よりは高いだろう。
彼らは生にもっと洞察を持っているだろうし、
その生にはもっと喜びがあるだろうし、
その生にはもっと自由があるだろうし、
もっと反逆性があることだろう・・・
さらなる自由と、さらなる反逆性が。
そして社会と教会は、自由に敵対している。
彼らはあなた方が自由になることを望んではいない。
あなた方が奴隷になることを望んでいる。
彼らの全ての既得権は、あなた方が常に奴隷でいることに依存しているからだ。
彼らがこぞって私に反対しているのは、その為だ。
それは理解出来るし、私は彼らの怒りに少しも驚くことはない。
彼らの怒りは自然だ・・・なぜなら私がここでやっていることは、
ことごとく彼らの全ての構造を揺さぶることであり、
そして時には舟を沈めるには小さな穴だけで充分だからだ。
しかも私は、出来る限り多くの穴を開けようと努力している!
OSHO、The Dhammapada:The Way of The Buddha.Vol.7,#4より抜粋
※R・D・レイン(1927—1989)
イギリスの精神科医。反精神医学運動の中心的人物。
主な著書に
「ひき裂かれた自己」 「自己と他者」 「狂気と家族」 「結ぼれ」 「好き?好き?大好き?」
「レイン我が半生」など多数。
亡くなる直前、プーナのOSHOを訪ねようとしていたらしい。
