自然って

人間が壊している自然
いっぱいある
人間が復興している自然
いっぱいある

自然のままの自然
いっぱいいっぱいある

この地球に要らないものは居ないだけ

良いとか悪いとか
その判断が何かを生み出す

不思議と偶然と呼ばれながらにして生み出されたもの
それはいくつもある
それは良くする訳でもなく悪くする訳でもない

良過ぎれば悪くし
悪過ぎれば良くし

中庸という状態にするだけ


この中庸と関係あるかわかりませんがふと思い出したお話

ある日神力を持てた高僧が
亡くなった両親が無事に天界に居るかと透視してみたら
父親は自分が思った通りの界層ですぐ見つけられた
とても穏やかにその世界に居る

母親は自分の為に尽くしてくれていたからもっと上の界層に居る
そう思いながらずっとずっと上の界層まで透視
しかし母親の姿はどこにも無い
見間違えたかと何度となく観るが  姿はどこにも無い
まさかと思いながらも今度は下の界層を見ていく
どんどんどんどん下を見ていく

ある界層に来たとき
砂漠のような場所
そこに後ろ姿が母親に似ている姿を見つける
うずくまっている痩せこけた姿
じっとその姿を見ていると
その姿の前に食べ物が見えてきた
お腹が空いているのだろう
動きが鈍いながらもそれを取って食べようとする
手がやっと食べ物まで届き手に取り口に運ぼうとした瞬間

ボッ!

食べ物は火に包まれ

アチチ。。。

とばかりに手を払い食べ物は下に落ちる寸前に燃えてなくなる

また別の食べ物を取ろうとするが 同じことの繰り返し

食べたいのに食べれずに罵り叫ぶ

その母なる変わり果てた姿を見たその高僧
なぜ私にあんなに優しかった母親があのような姿になったのか
あれだけ私の為に尽くしてくれた母親なのになぜ?
そう思い母親の人生を透視してみたら

母は息子を立派な高僧にするために
沢山の人々にお金を貸しては取り立てをしていた

大事な息子の為に
自慢な息子の為に

人々にお金を貸しては酷い取り立てをしていた

いつしか母親の中に鬼が育っていたのだろう
最初は息子の為にと思い
人に対しての態度をしなければならない我慢と思い始めたが
やっているうちに自分が凄く偉くなった気になっていた
人から見られる自分の無価値感を我慢していた反動
素晴らしい息子を持った母親という役柄を自分の欲望に置き換えられた
人々が必死に働き必死に返すお金を取り立てる快感
自分が人にさげすまされないよう自分を上の立場に見せる快感

息子は自分の思うように育てた快感

いつしか愛は我慢していた自分の欲望に変わっていた

その高僧は愕然とした
自分の為に母親が変わってしまったのか
いや変わるきっかけを作ってしまったのだろう
母親がまだ生きていたら諭すことができたかもしれない

いまの自分にできること

母親の犯した罪を軽くすること
できれば無くしたい

亡くなった母親に届くお経でしか癒せない
そして母親を恨んで恨んで亡くなった御霊にもお経を唱え
それによってそれぞれの御霊が浮かばれるようにする
しかし何十何百とある浮かばれない御霊
自分ひとりでは一生かかってもできない
みんなにこの話をし一緒にお経をあげてもらおう
高僧のお人柄をよく知る僧侶たちは何も言わずに従う
それは自分の先祖にも関係するかもしれないこと
無心にお経を唱え続ける約3ヶ月(108日?)

こうして始まったのが
盂蘭盆


浮かばれていない御先祖の御御霊を浮かばれるようお祈りする


自分がいまここに肉体を持って存在する
それは御先祖があってのこと
父母や祖父母が居る方はいま一度振り替える時期がお正月

そんな感じが先日頂いた和歌に込められている気がしました。

子供のためと思い我慢することもあるでしょう
我慢がいけないのではなく
我慢し過ぎは毒になることがあります
我慢している親を見る子供にも毒になるかも

たとえ家族の為でないとしても人の為にし過ぎないよう

自分が生きているうちに

し過ぎていることに気づけたら

そして
いま生きている人生が極楽浄土であり天国になるなら


そして死ぬ時が来たら。。。

あ~楽しかった♪
ありがとう!


って☆


盂蘭盆のお話は数年前に聞いたので多少内容が違うかも
気になった方はご自身で調べて見てくださいね♪