osho
仏陀の道は、クンダリーニを通って行くことができなかった。
セックスは彼にとってまったく退屈なものになっていた。
彼はセックスにまったく関心を抱いていなかった。
そうなって当然だ。
というのも、彼の父親が王国の美しい女性たちを大勢彼のまわりにはべらせていたからだ。
美しい少女たちが、彼の宮殿には勢ぞろいしていた。
彼はただただうんざりしてしまった。
そうなって当然だ。
そんな暮らしをしていれば、誰だってうんざりする。
彼はセックスにひどく辟易していたので、この同じエネルギーが変換されうるとは思いもしなかった。
彼はそれを一度も試さなかった。
誰かが性エネルギーは聖なるエネルギーに変わりうると言っても、彼は耳を貸さなかっただろう。
性体験の豊富な彼にとって、セックスには何ひとつ神聖なものがなかった。
それは肉欲にすぎなかった。
それゆえに、仏陀は別の経路を使った。
彼はクンダリーニについては何も語っていない。
だが、彼は中枢、チャクラについて語っている。
彼はチャクラに働きかけた。
クンダリーニに働きかけるなら、それは漸進的なプロセスになる。
クンダリーニは連続体だ。
それは温度計によく似た連続体だ。
それは温度計のようにゆっくりゆっくり昇ってゆく。
その通路は切れ目のない連続体だ。
仏陀はその通路を一度も使わなかった。
だが、仏陀はチャクラについて、不意に跳躍して働くチャクラについて語っている。
人はひとつのチャクラから別のチャクラへと跳躍する。
連続性はない。
人はただ跳躍する。
この跳躍のプロセスゆえに、仏陀は世界全体をきわめて斬新な見方でとらえた。
彼は、世界には連続性がなく、跳躍のみがあると言った。
連続するものは何もない。
花は蕾の続きではない。
花は跳躍だ。
青年期は幼年期の続きではない。
それは跳躍だ。
それゆえに、仏教学者たちは、
現代の科学もまた連続するものはない、あらゆるものがジャンプする、
跳躍のみがあると言っているのを聞いて、今や大いに満足している。
物が連続して見えるのは、たんに二つのあいだにあるギャップが私たちには見えないからだ。
あなたはこの光を絶え間なく見ているが、それは連続してはいない。
電子はジャンプしているのだが、その間隙があまりに小さいために、
眼でとらえることができない。
それは連続せずに、ジャンプしている。
だが、そのジャンプがあまりに素早いために、ひとつの電子が死に、
ひとつの電子が生まれても、その間隙は認知されない。
不意にジャンプが起こる。
夜に火をともし、朝、消すとき、あなたは同じ火を消していると思うだろう。
だが、炎は数限りなくジャンプしている。
炎が去り、かき消えると、新しい炎が現れる。
だが、炎は連続しているように見える。
ヘラクレイトスは、同じ河に二度と足を踏み入れることはできないと言った。
河は流れているから、二度とそこに足を踏み入れることはできない。
仏陀はこう言うだろう・・一度でも河に足を踏み入れることはできない。
河は流れているから、水面に足が触れた瞬間に、流れ去っている。
足を深く踏み入れないうちに、河は流れ去っている。
たった一歩踏み入れるあいだにも、大量の河が流れ去っている!
それは常に跳躍しているプロセスだ。
この跳躍という概念を仏陀が思いついたのは、
彼が一度もクンダリーニを経由したことがなかったからだ。
彼はひとつのチャクラから別のチャクラへと跳躍して動いた。
それゆえに、彼は7つのチャクラについて語る。
それもまた起こりうる。
私はあなたの家までジャンプしながら行くこともできる。
その場合には、ある地点に触れるだけだ。
間隙があり、連続性はない。
マハヴィーラは、チャクラあるいは跳躍のことは一度も語っていない。
彼は爆発について語る。
あなたは「これ」であり、突然「それ」になっている。
ジャンプするための踏み石が数多くあるわけでもない。
これはまったく異なる経路・・爆発だ。
あなたは、ただ爆発する。
連続性もなければ、跳躍もない。
あるのは爆発だ。通過する中継点などはない。
禅には二つの流派がある。ひとつは「頓悟(とんご)」として知られる禅の流派だ。
もうひとつは「漸悟(ぜんご)」として知られる禅の流派だ。
だが、「漸悟」の禅でさえクンダリーニについては語らない。
禅は別の経路を使ってきた。
それゆえに、禅にはクンダリーニに関する言及はない。
「漸悟」の流派においてすら、別の経路が使われてきた。
肉体にはたくさんの経路がある。
肉体のなかには広大な世界がある。
呼吸を通して働きかけ、呼吸を通して跳躍することもできる。
セックスを通して働きかけ、セックスを通して跳躍することもできる。
「気づき」を通して働きかけ・・それは意識を通した直接的な方法だ・・跳躍することもできる。
意識に直接働きかけるこの方法は、もっとも深い経路のひとつだ。
だが、ひとつの経路も様々な形で使うことができる。
あなたはこの複雑さを理解しなければならない。
仏陀の道は、クンダリーニを通って行くことができなかった。
セックスは彼にとってまったく退屈なものになっていた。
彼はセックスにまったく関心を抱いていなかった。
そうなって当然だ。
というのも、彼の父親が王国の美しい女性たちを大勢彼のまわりにはべらせていたからだ。
美しい少女たちが、彼の宮殿には勢ぞろいしていた。
彼はただただうんざりしてしまった。
そうなって当然だ。
そんな暮らしをしていれば、誰だってうんざりする。
彼はセックスにひどく辟易していたので、この同じエネルギーが変換されうるとは思いもしなかった。
彼はそれを一度も試さなかった。
誰かが性エネルギーは聖なるエネルギーに変わりうると言っても、彼は耳を貸さなかっただろう。
性体験の豊富な彼にとって、セックスには何ひとつ神聖なものがなかった。
それは肉欲にすぎなかった。
それゆえに、仏陀は別の経路を使った。
彼はクンダリーニについては何も語っていない。
だが、彼は中枢、チャクラについて語っている。
彼はチャクラに働きかけた。
クンダリーニに働きかけるなら、それは漸進的なプロセスになる。
クンダリーニは連続体だ。
それは温度計によく似た連続体だ。
それは温度計のようにゆっくりゆっくり昇ってゆく。
その通路は切れ目のない連続体だ。
仏陀はその通路を一度も使わなかった。
だが、仏陀はチャクラについて、不意に跳躍して働くチャクラについて語っている。
人はひとつのチャクラから別のチャクラへと跳躍する。
連続性はない。
人はただ跳躍する。
この跳躍のプロセスゆえに、仏陀は世界全体をきわめて斬新な見方でとらえた。
彼は、世界には連続性がなく、跳躍のみがあると言った。
連続するものは何もない。
花は蕾の続きではない。
花は跳躍だ。
青年期は幼年期の続きではない。
それは跳躍だ。
それゆえに、仏教学者たちは、
現代の科学もまた連続するものはない、あらゆるものがジャンプする、
跳躍のみがあると言っているのを聞いて、今や大いに満足している。
物が連続して見えるのは、たんに二つのあいだにあるギャップが私たちには見えないからだ。
あなたはこの光を絶え間なく見ているが、それは連続してはいない。
電子はジャンプしているのだが、その間隙があまりに小さいために、
眼でとらえることができない。
それは連続せずに、ジャンプしている。
だが、そのジャンプがあまりに素早いために、ひとつの電子が死に、
ひとつの電子が生まれても、その間隙は認知されない。
不意にジャンプが起こる。
夜に火をともし、朝、消すとき、あなたは同じ火を消していると思うだろう。
だが、炎は数限りなくジャンプしている。
炎が去り、かき消えると、新しい炎が現れる。
だが、炎は連続しているように見える。
ヘラクレイトスは、同じ河に二度と足を踏み入れることはできないと言った。
河は流れているから、二度とそこに足を踏み入れることはできない。
仏陀はこう言うだろう・・一度でも河に足を踏み入れることはできない。
河は流れているから、水面に足が触れた瞬間に、流れ去っている。
足を深く踏み入れないうちに、河は流れ去っている。
たった一歩踏み入れるあいだにも、大量の河が流れ去っている!
それは常に跳躍しているプロセスだ。
この跳躍という概念を仏陀が思いついたのは、
彼が一度もクンダリーニを経由したことがなかったからだ。
彼はひとつのチャクラから別のチャクラへと跳躍して動いた。
それゆえに、彼は7つのチャクラについて語る。
それもまた起こりうる。
私はあなたの家までジャンプしながら行くこともできる。
その場合には、ある地点に触れるだけだ。
間隙があり、連続性はない。
マハヴィーラは、チャクラあるいは跳躍のことは一度も語っていない。
彼は爆発について語る。
あなたは「これ」であり、突然「それ」になっている。
ジャンプするための踏み石が数多くあるわけでもない。
これはまったく異なる経路・・爆発だ。
あなたは、ただ爆発する。
連続性もなければ、跳躍もない。
あるのは爆発だ。通過する中継点などはない。
禅には二つの流派がある。ひとつは「頓悟(とんご)」として知られる禅の流派だ。
もうひとつは「漸悟(ぜんご)」として知られる禅の流派だ。
だが、「漸悟」の禅でさえクンダリーニについては語らない。
禅は別の経路を使ってきた。
それゆえに、禅にはクンダリーニに関する言及はない。
「漸悟」の流派においてすら、別の経路が使われてきた。
肉体にはたくさんの経路がある。
肉体のなかには広大な世界がある。
呼吸を通して働きかけ、呼吸を通して跳躍することもできる。
セックスを通して働きかけ、セックスを通して跳躍することもできる。
「気づき」を通して働きかけ・・それは意識を通した直接的な方法だ・・跳躍することもできる。
意識に直接働きかけるこの方法は、もっとも深い経路のひとつだ。
だが、ひとつの経路も様々な形で使うことができる。
あなたはこの複雑さを理解しなければならない。
