檀家になっているお寺での施餓鬼供養法要に初めて参加しました。
お経が始まる前にお坊様のお話から覚え書きとして羅列かな。。。

旅行慣れされた高齢者グループでルーマニアへ行かれたそうです。
ルーマニアで 日本のことを聞いてみたらなぜか 腹切り という言葉を知っていたそうです。
他に知っている言葉はなかったようです。なぜ 腹切り なのか???
自らが腹を切るインパクトがあるからなのか。。。

ルーマニア といえば ドラキュラ だが。。。
ドラキュラ は アイルランドの作家の創作。
それに着眼してルーマニアが勝手にドラキュラの国にしたらしい。。。

今回の旅行アテンダントに任せた旅は若者のような行動をしなくてはならなくて時間の無駄☆
そこで 旅は行く前に調べることが大事 と気づき。。。
みんなで現地の情報を収集して旅することに計画を変更したそうです!
その方が建前旅行で楽しくなかったことを帰国後に日本で広まるよりも。。。
楽しかったことや良かったことを知って日本で広げた方が沢山の良さを伝えやすくなる♪

ルーマニアの若者は個性的に装っている
日本人のようにみんなが似た様な格好せず。。。
人が装っている内容にへつらわず。。。
個人を個性を大事にして装っている☆

和魂(わこん)という物差しが日本人にはある。
それは日本的価値観をフィルターとして通すという意味でもある。
日本の文明開化
米魂(べいこん)という物差しに変わってしまった!
自由と平等

和魂にある お陰様 / 有難い / 感謝 などが無くなりつつあり。。。

自己中心 という米魂になってしまった。。。

人間に大事なものは・・・ 水 / 家族 / 隣近所 / 生命(いのち)

昨年の3月11日に いままでの当たり前 がどれほど大切かを知らされた。。。
米魂から和魂に戻る大切さを知った。。。

価値観の変化である。。。


まぐろが競りで何千万円もすると言われているが。。。
私がまぐろなら幾らくらいなんだろう?と思い。。。

人体の値段という本(総理府)とみてみたら。。。

水 / 脂肪 / 炭素 / りん / 鉄 / 塩 / 砂糖 / 石灰 / 硫酸 etc.

で。。。合計 700円
マグロ 入札 5649万円


天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

まんじ:空間の中に生きるわたし

人間の素晴らしさを説く仏教
存否
人間の肉体は安い価値しかもたないかもしれないけれど
命を持ち心を持ち生きることに価値がある
鬼も仏も生きざまで価値が決まる


通訳を通してお話をする人は偉い人だけれど
本当に偉い人は謙虚 高潔尊敬と愛

相手を値踏みする人 慇懃に遇される 居丈高になる
立場上偉い人と人間として偉い人

「尊いのは足の裏である」 さかむらしんみん 詩人
尊いのは 頭でなく 手でなく 足の裏である
一生人に知られず 一生きたない処(ところ)と接し
黙々として その努めを果(はた)してゆく

手から光がでる。。。まだまだ
額から光がでる。。。まだまだ
頭から光がでる。。。まだまだ
一番汚い足の裏から光が出る人

居を「タンポポ堂」と名づけ
「念ずれば」の真言をタンポポの種のように飛ばして、幸せの花を咲かせてもらいたいから
風に吹かれたタンポポの種のようにその詩は多くの人の心に舞い降りた。

その人の行動がどうであったか
仏足跡を拝むのは足の裏から光が出るからです


施餓鬼小供養
仏壇にお盆のまつりをして
過去帳を開いてお坊様に拝んで頂く


アーナンダという美男子
もしこの飢えを解いてくれたらと言う面燃餓鬼
サバ(生飯)を与えてもすべて燃え尽きてしまい食べれない

そこでブッダに聞いてみたら。。。
ヘンジキダラニシュダラという 1粒が8万倍 になるお経があると言う
法の食事(法じき)
聖水と物販と刻んだ供物
きゅうりとなす
体を冷やすもの
どちらも無数の種がある

ウランバーナ
逆さに吊るされた苦しみ

http://ja.wikipedia.org/wiki/施餓鬼
詳しくはこちらを読んでみてくださいね☆アップ

人はひとりで生きていけない
幾千万の先祖が亡くなっている

常に自ら回向の本質

他の命を奪って生きている
その悲しみを知り仏陀は中道を説く

おとうばこちら側があちら側に出す手紙
その人を思ってみる大事さ

一休宗純
死にはせぬ 物も言わず 訪ねはするな

灯籠流し



目は見えなくなるが
耳は最後まで聞こえている
その耳に向かって話す
暗闇の中に見える光に向かっていくのですよ。
今は病院で臨終される方が殆どななりそこへ坊主が行くことははばかられるので
行かなくなってしまったというお話。




そしてお経を読経☆

初めて参加して良かったと思う。
親がいつまで参加できるかわからないし。。。
知らないことを身近で知ることができるのなら体験してみるのがいい☆
宗派によってさまざまではあるだろうけれど。。。
思いは一緒な氣がする。やり方を変えているだけなのだろう。

今年は参加者が減っている。お寺離れしている時代だと思えた。
檀家になっている寺のお坊様が最後に話をしたが。。。

お寺の存続は 新たな死者が必要なのではなく 日常で法要をして頂くことが大事なのです。

お寺は経営ではないのだけれどこのご時世どうしても営業がせざるを得ないらしい。。。
もう必要ないからと法要を止めてしまう檀家が増えている結果でもあるらしい。。。

餓鬼にはならないとは思っていても心が飢えていたら物質で満足しても餓鬼になってしまうのだろう☆

この先どうなるのかはわからないけれど。。。
お付き合いというのは生まれてから死ぬまでではなく死んでからも関わるのか。。。


死ぬまで解らないのではなく死んで初めて生きていたその人生がどうだったかが解るのだろうね☆

深いお話です。いろいろと。。。
有り難う御座居ました。