質問

セラピストという役割を果すことは、私自身の精神的な成長にとって危険なのでしょうか?
人々を助け、しかも同時に、私自身のエゴを溶かし去ることは可能でしょうか?
私は、ハッキリとしている部分と、明晰さとは無関係でいたがっているもう一方の部分との間の、
微妙な戦いが内側で続いているのを感じます。
あなたのガイダンスのもと、私は自分の見る能力を使う時、他者を支配せずにいることを学びました。
でも依然として私は、私自身を支配しているのでしょうか?

osho

サガプリヤ、セラピストの役割は非常に微妙で、複雑なものだ。

まずセラピスト自身が、助けようとしている相手と同じ問題で苦しんでいる。
セラピストは、技術を使っている者にすぎない。
彼は自分がマスターだ、と自分自身をごまかし、その振りをすることも出来る。
これは、セラピストとしての最大の危険だ。

だがほんの少しの理解で、ものごとは変わってくる。
まず「他の人々を助ける」という見地から考えないことだ。
それがあなたに、救世主である、マスターであるという考えを与える。
するとエゴが裏口から再び入り込んで来る。

あなたが重要になる。
あなたは、グループの中心だ。
誰もがあなたを尊敬している。

「助ける」という考えを落としなさい。
「助ける」の代わりに「分かち合う」という言葉を使いなさい。

あなたは、何であれあなたの持っている洞察を分かち合う。
参加者は、あなたより劣っている誰かではない。

セラピストもセラピーを受ける者も、両者とも同じ舟に乗っている。
セラピストはほんの少し知識があるにすぎない。

あなたの知識は借物だという事実に覚めていなさい。

あなたが知っていることは何であれ、それがまだあなたの体験ではないことを、
一瞬たりとも忘れてはいけない。

そしてこれが、あなたのグループに参加している人々を助けることになる。

人間は、非常に微妙なメカニズムだ。

それは、両方に働きかける。

セラピストはマスターになり始める。

そして、助けるよりもむしろ参加者の何かを破壊している。
なぜなら、参加者も技巧のみを学ぶことになるからだ。

愛に溢れること、分かち合われる友情、信頼の雰囲気はなくなる。
そのかわり、
「あなたはより多くを知っている。私は少ししか知らない。
 いくつかセラピー・グループに参加することで、私もあなたと同じくらい多くを知るだろう」

参加者自身が、徐々にセラピストになり始める。
ほとんどの国で、何の学位も要求されていないからだ。
ごく少数の国が、受け容れることの出来ないあらゆる種類のセラピーを禁止し始めた・・

治療学、精神分析、精神療法の分野の、大学の資格を得た者のみが、
セラピー・グループで人々を助けることが出来る。
これは、世界中のほとんどあらゆる国で起こることになるだろう。

セラピーが、ビジネスになってしまったからだ。
そして資格のない者がそれを牛耳っている。
彼らはテクニックは知っている。
テクニックなら学ぶことが出来るからだ。
いくつかグループに参加することで、彼らはあらゆるテクニックを知る。
その上に、自分自身ででっちあげも作ることが出来る。

だが、統括する術はない・・
だが、覚えておきなさい・・

あなたが「助ける者」を演じる時、「助けられる者」は決してあなたを許しはしない。
あなたは、彼のプライドを傷つけた。
あなたは、彼のエゴを傷つけた。
あなたは、そんなつもりではなかった。
あなたは、ただ自分自身のエゴを膨らませたかっただけだ。

だがこれは、あなたが他人のエゴを傷つける時にしか起こり得ない。
あなたは、他者を傷つけることなしには、自分のエゴをふくらませることは出来ないのだ。
あなたのより大きなエゴには、より大きなスペースが必要になる。
そして、他者は、あなたとともに在るために、自分のスペースを、自分の人格を縮めなければならない。

まさに最初から、真摯な愛情深い人が・・
そして、私は、愛に勝る治療はないことを絶対的に必要なポイントとする。

技巧は助けることが出来る。
だが、真の奇跡は愛を通して起こる。

セラピーに加わっている人々を愛しなさい。
そして、彼らの中の一員でいなさい。

より高いとか、より神聖だという気取りなしに。
まさに最初から、明確にしなさい。

「これは、私が学んだテクニックだ。
 私の体験はほんの少しだ。私はあなたにテクニックを与える。
 そして、私の体験を分かち合う。
 だが、あなたは私の弟子ではない。
 あなたはただ、まさかの時の友だ。
 私にはいくらかの理解はある。
 そんなに多くではないが。
 私はそれをあなたと分かち合うことが出来る。」

おそらく多くの者が、様々な分野、様々な方向からの彼ら独自の理解を持っている。
彼らもまた、自らの体験を分かち合い、グループを豊かにすることが出来る。

言葉を換えて言えば、私が言っていることは、セラピーのまったく新しい概念だ。
セラピストはたんにコーディネーターに過ぎない。

ただグループをより静けさに満ち、穏やかにしようと試みる。
彼は、何も間違った方向に行かないよう目を見張る。

マスターというより、むしろ保護者だ。

そしてあなたもまた、明確にしておかなければならない。

「私もまた、自分の体験を分かち合おうとする中で学んでいる。
 あなたの話に耳を傾ける時、それはあなただけの問題ではない。
 私の問題でもある。
 そして私が何か言う時、私はそれを言っているだけではなく、聞いてもいる」と。

あなたが特別な誰かではないことを、強く明確にしなさい。
これはグループの始めになされなければならない。
そして、グループがより深く探求していく中でも、それを続けなければならない。

あなたは、ただ数歩だけ先を行っている年長者であるにとどまる。
さもなければ、あなたは人々を助けることは出来ない。

彼らはテクニックを学ぶだろう。
そして、自らセラピストになっていくだろう。

人々が自分を尊敬し始めると、

「人々が私を尊敬しているのなら、私には何か偉大なものがあるに違いない」

と考え始めるのは、人間の弱さだ。

人々は悩んでいる。
彼らは、人間の脆さゆえに苦しんでいる。

だが、あなたも人間だ。
そして、間違いを犯すことは、まったく人間的なことだ。

どんな非難もなしに、大いなる愛を持って、彼らが自分自身を開くのを助けるがいい・・
それは、あなたが自分自身を開いてのみ可能だ。

セラピー・グループは最後ではない。
それは、ほんの始まりにすぎない。

それは瞑想のための準備だ。
瞑想が光明を得ることへの準備であるように。

あなたが、ものごとの単純な算術を理解すれば、それを難しいと思うこともないだろう。
そして、あなたはもっとグループを楽しむ。
グループはあなたと共に、より深く行くことが出来るからだ。
あなたは、グループの教師であるだけでなく、学ぶ者でもある。

カリール・ジブランの「預言者」、アル・ムスタファは、素晴らしい言葉を残している。

誰かが「学ぶことについて何かおっしゃってください」と尋ねた時、彼は言った。

「あなたが尋ねたから、私は話そう。だが、覚えておくように。
 私は話している。そして、私もまた、あなた方と共に聞いているのだ」

私はここにいる。
そして私は、あなた方の中に坐ってもいる。

私は、まったく特別ではない。
それが、人々を近くに引き寄せる。

特別だと自慢することは、隔たりを生む。
エゴの充足は、愛の雰囲気を破壊する。

そして、私はもう一度繰り返す。


愛よりも偉大なセラピーは存在しない。