品質に基準がない☆

ということがあるとしたら。。。

自分の体が基準である
自分の感覚が基準である


仮に他の人が基準を作ったとしても結果が出る何かしらの基準を持っているのは自分である

ということは。。。
自分の基準値が低い人はある程度何でも受け入れは大丈夫?
基準値が高い人はなかなかヒットしないがヒットしたものはかなり高い基準のものである?


低い基準の人は何でも大丈夫だから基準がわからない状態とも言える
何でも大丈夫は素晴らしいことでもあり大変なことでもある

体に何かを取り入れて反応が良い感じがすれば良いと思い。。。
逆に何も起こらなければダメだと思いやすい。。。
果たしてそれは品質基準なのだろうか?

動植物は外的環境とのコミュニケーションをとっている
人間の体が出来ている炭素
人間の体に作る核酸
両方ともいま食べ物から身体に入れることが大変になってきている。
なぜなら壊れている食べ物が多いからだ。。。
素晴らしい野菜達を購入しても電磁波で壊してることもある☆
動植物から厳選されて作られている炭素や核酸がある。
信じる信じないはともかくそれらに出逢えるかどうかもその人のアンテナ次第☆

世界中から食材が集まる日本
日本で出来る食材
この両方を取り入れてこれからの体を作り上げていく感じがする。
どちらかが良いとか悪いとかではなく基準は自分☆

それはエネルギーにも同じことが起きる。
純度が高いけど効果は無いことはあるが純度が低くて効果が出るものは無い。
素晴らしい技術を持っていても効果が出るとは限らない。

何かを抑制するだけで終わることが多い昨今だけど。。。
元々の問題にアクセスすることが大事である。

いろんな意味での症状が出る前に予防するために使用するものに出逢うことが大事☆

自分に何が大事かということは自分の基準次第

そして。。。

あなたがいましたいことは何でしょう?

元気になることはできないと思うけど自分がやりたいと思うことができて嬉しい。
病気を治すことが大事であるかもしれないけれどやりたいことができることはもっと大事である。
チャンスがあってもやらなければ死んでるのと同じかもしれない。。。

あなたは死ぬために生きますか?
あなたは生きるために生きますか?

どちらも生きることです。
どちらも死ぬことです。

何がしあわせなのでしょう?
惰性で生きることもできます。



何かを摂取する場合はどんなに素晴らしいものだとしても
量や数の問題ではなく自分の最適量を見つけること

方法として。。。
少量を回数増やして使ってみる。
少しずつ量を増やしてみる。

何でも、やり過ぎし過ぎは体に良いとはいえない☆


すべては自分の選択による自分基準である。
ただし、過去の選択パターンに気づかなければ基準はぶれたままでもある☆

大丈夫かな?