9月13日(火)
ここのところ、「詩と音楽」がテーマの講座やコンサートに
いくつか参加してみた。
ドイツ語の詩と音楽、フランス語の詩と音楽。
どちらも原詩の持つ響き、に惹かれるからというのが
一番の理由なのだが。
つい先日行ったなかで、面白かったのが、
ドビュッシーの「ビリティスの歌」。
これはもともと、ドビュッシーと親しかった詩人、ピエール・ルイスが
「サッフォーと同時代のギリシャの女流詩人が書いた詩の仏訳」
と偽って発表した、実は自作の詩集があり、
そこから取られた12の詩の朗読とパントマイムのための付随音楽を
ドビュッシーが作曲したというものだそうだ。
-ビリティスは、牧場の自然の中で育ち、
やがて恋を知り、欲望にめざめる。
そしてレスボス島に渡り、ナシムディカという娘と
愛の日々を送ったあと、
島を離れ、娼婦として過ごし、
老いて死んでいく。-
詩の一部を紹介すると、
-知るがいい、お前は美しい。
花と香気で膨らんだ豊かな髪の重みで、
お前は顔を傾げ、
柔らかなまぶたはかすかに開き、その脇腹は
性愛の動きに飽いている。
乳房の重みに疲れたからだには、
細く残る爪痕と口づけの青い痣。
腕は強く抱き締められたせいで赤らんでいる。
愛されたのだ、からだの線のいたるところが。-
この朗読とパントマイムの会は、1901年2月7日に、パリで
300人の観客を前に、女性による詩の朗読、音楽の演奏と共に
(2本のフルート、2台のハープ、1台のチェレスタ)
全裸の女性たちによるマイムが行われたという。
(うーーん、全裸って、私はあまり見たくないけど。)
私の行ったコンサートでは、
まず、ビリティスの生涯(実話ではないが)についてあらすじが解説され、
フランス人男性による原詩の朗読と日本語の字幕スクリーン、
そして、フルートとピアノの演奏
が、交互に行われた。
このような試みは、私のように不勉強で活字の苦手な者には
イメージを広げるのにとても効果的だった。
活字だけを読むのとは違い、
官能的な娘の姿がより鮮明に浮かび上がる。
いかにもフランス的なエロスの世界。
エマニエル夫人の映画など、思い出してしまう。
これはそのまま詩の朗読がついています。
ところでひとしきりこのような世界を楽しんだのだが、
ずっと続くと少々倦んでくる。
他に紹介された、いくつかの詩の中で、
-きみが身を乗り出しているバルコニーまで
登っていきたい… いろいろやっても空しいばかり
バルコニーはあまりに高く きみの白い手は
差し伸ばしたぼくの腕まで届かない。-
- テオフィル・ゴーチェ
この詩がずっと心の中に残った。
なんということもないようなのだが、
今失われてしまっている何かがここにあるような気がして。
