みなさま、こんにちは。




数日前は、”less is more”という言葉が光り輝いて見えたのでブログを書こうとここまで書いて忙しくなり書けませんでした🥲



大は小を兼ねるの逆パターンで、足るを知るとも違う。



直訳してしまうと、少ない方が良く、より多くのものを得られる、というようなニュアンスでしょうか。



私の中では、より執着が少ない方が多くの望みが入ってくる。

より多くの物質に固執しなければより大きな何かに気づくのでは、、、そんな意味として入ってきたless is more.



日本に一時帰国すると、日本で生まれ育ち、ずっと蓋をしていたことが再度浮き彫りになったり、夫との遠距離により、いろいろと考えることも出てきます。



わたしは24時間子供達のことに追われながら生きていて、夫は自分の母国でまわりにお世話する子供もいなく、日々の生活をしていることはそこまで大変じゃないだろうと、ついほったらかしにしてしまっています。



でも、そうなると彼もさみしさからか、わたしの子供の一人みたいに拗ねたり、突き放してきたり、でもやっぱり心配してくれたり情緒不安定なのはお互い様のようです。




彼の男友達がカリフォルニアの自宅に遊びに来ているのですが、[もう少し家事をやらないと家が大変なことになるぞ]と言われたと言っていました。



夫は、「俺には妻がいるから、お前みたいに何から何まで自分でやらなくてもいいんだ!」と反抗したみたいですが、確かに夫は母親が家事を全部こなしてくれちゃうタイプの家で、いまだに母からの心配の電話が朝晩毎日です。

それなので、男友達としばらく過ごして久々に自分を見つめたようです。



わたしたちはもうすぐ結婚10年。

わたしに対して、家事を何もやらない!とか怒ることもありますが、君が本気になった日の掃除は尊敬する、一日中家事をせかせかやらず、たまにはゆっくりしな、なんて言ってくれて妊娠中や産後も含め、掃除、料理もやればできる人で助けてくれてきました。



でも、私から何か言うのではなく、自分の男友達につつかれて自覚して、少しは誰かがやってくれている家事にも感謝できた一瞬だったのかと思いました。



それぞれ、それぞれの気付きがあり、それぞれの学びがあるのが人生。




子供が、後何日学校いったら休み?と聞いてくるので、こんな小さな頃から休みの日に向かって学校を耐えるという概念が出来上がるのだなと思いました。



社会に出ても同じこと。



わたしは、我慢が美徳の時代の祖父母や両親に育てられたので我慢ばかりして生きてきました。

そう、アメリカに渡るまでは。



日々、苦しいことがあっても好きなことで生きていくのが目標となり、なんなら苦しみも楽しみになってしまうほど没頭できることに励み、そこから得た収入を不労所得につなげる。



わたしの場合はリアルター(アメリカの宅建保持者)なので不労所得とは不動産のことになるのですが、その他色々と考えながら自分の好きなことをしながら生きていきたいと歳を重ねるほどに強く思うようになりました。



いろんな仕事を経験したので、この答えに自信を持っています。

誰かの答えじゃなく、自分の人生への答えです。



朝起きて、インスピレーションのままに行動。

そうしていても収入が入る生活。

そのための準備になら、それさえ楽しいと思うでしょう。




ここまで書いて、ある事件が起きました。

それはまた後日、、、。







Juise