みなさま、こんにちは。
前回のブログで書いた日本にいると苦しい理由を、ブログを書いた後も頭の片隅の方で常に考えながら過ごしていました。
わたしは幼い頃から直感が鋭く、大人の嘘と建前を見破るような子供でした。
口に出してはいけない。
そう注意されることもあり、わたしは自分に降りてくるビジョンを口に出して説明してはいけないのだと成長と共に自分に頑く誓いました。
アメリカでよく思うことは、胡散臭い人も沢山いますが、自分に嘘をついていない人が多いなということ。
本当に自分に自信があり、本当に傷ついていてそれを訴えたり、本当に好きなことを好きと思い、そんな、自分に正直な人たちに私は幼い頃から憧れていたのでしょう。
いまだに相変わらず直感や、見えるビジョンはありましたがHSP気質で敏感に物事を捉える性質のため、スピリチュアルというよりは、わたしの特性、性質なのだと思っています。
20代の頃、同僚の年上の女性でお姉さんのように慕っていた方と語ることが多く、仕事帰りにファミレスで談話していた時に、どうもあまりよろしくない蛇が巻き付いてるなぁと感じそのことを会話の流れで話した時にすごい剣幕で、そういうことを見えても言うもんじゃないよと怒られました。
改めて、やっぱり話さない方が良いのだなと思ったものの、その方は他の同僚とうまくいかずに、ちょっとした嫌がらせのつもりが最終的には金銭がらみの容疑で処分となりました。
容疑がかかっていても最後までわたしに打ち明けられなかったのは引かれたくなかったからだと後から伝えられましたが、あの蛇を指摘した時の彼女の怒り方、その後の行動と共に、そんなことをする方じゃないだろうになぁと思い、いまだになぜこんなことになったのか不思議なことも多々あります。
まだ、あの蛇を見た時は手遅れではなく、彼女は恨みの気持ちを抱いていてもまだ何もしていなかったはずなのですが、わたしがいた職場ではとにかく金銭関係で問題を起こす人が多く、環境も悪かったのかな思い、そのネガティブなエネルギーに引っ張られてしまったのかもしれません。
何せ、そこは米軍基地内の施設で、実際にお金を掛けてギャンブルできる施設も業務の一部で管轄していたので、お金関係の欲が渦巻く場所でもあったからです。
わたしは、たまたま勤務先の事情で彼女の職場にて一時期勤務を任命されていただけなので、内部の細かい人間関係の渦には巻き込まれなくてすみしたが、何せ次々と問題が起きる場所で、何もしていない残されたスタッフへの厳しいルールが次々に課せられて増え、がんじがらめとなったことを覚えています。
そんなことを思い出していたら、日本で私が精神的に疲れる理由がわかったのです。
それは、日本の多くの方が自分に偽って生きているから。
わたしは、その方の真の姿と、偽り本当は苦しんでいるというギャップが大きい人ほど真の部分を言い当てられると嫌がられるようですし、こちらも違和感のような気持ち悪さが襲ってきてすごくて苦しくなります。
自分が、日本で偽りの自分を作り上げたからこそ、敏感なのかもしれません。
日本で生まれ育ち、その過程で偽りの自分が出来、それがいつのまにか本当の自分と信じてきました。
だから、真の自分が出てこようとすると偽りの良い子ちゃんの自分がそれを止める。
ちゃんとしなきゃ。社会に適応しなきゃ。気に入られなきゃ、と。
適切な服装とか、作法とか、伝統を守ることも大事ですか、そこには個性は消えます。
どちらが良いのかはわかりません。
どちらも正しいと思います。
でも、どちらにも落とし穴もあります。
それを経験し、もがき、生きていくことが肉体を持ち、この世を自分がどう生きるかの醍醐味だと思います。
だから、日本にいると味わう違和感、苦しみも生きているからこそ思考が働き、それも自分を守るために自分が仕込んだトラップなのかもしれないなぁと思いました。
人のことじゃなくて、自分のことに時間を使うといろんなことの答えが出てくることってありますよね。
日本では、いつもこの気付きが起きます。
デトックスで風邪とかもガンガンひきます。
日本のここへ来い!というメッセージも次々きます。
ご先祖さまからのエネルギーも、さすがに日本にいる方が強く感じられます。
昨日あたりから、エネルギーが変わった感じがして私の中で色々とクリアになった様な気持ちでいます。
ここまでお読みいただいた方には感謝でいっぱいです。
もし、私と同じように苦しんだ過去だったり、いまも苦しい日々をお送りの方がいらっしゃったら、一度視野を広げて海外に旅行してみるのもおすすめの一つだと思います。
日本を外から見て、そして自分らしく生きているエネルギーの方々のまわりにいると感化されて帰国してから、今同じこと、状況、状態も、また違った視点から見つめることができるかも知れません。
追記:今日は、公園で青くて美しい🦋蝶が飛んでいました。
誰かの飼育していた蝶が誤って解き放たれてしまったのかな?と思いましたが、どうやら普通に公園とかにいるようです。(アオスジアゲハ)
緑が多いところだと、都会の公園より幼虫の時点で他の昆虫などに襲われて育たないことが多いそうです。
だからこそ、住宅街にある公園で出会えた素敵な一コマでした。
その蝶がいなくなり、車のクラクションがなりました。
亡くなった父が使っていた青色の軽トラを運転して、母と色々いつも手伝ってくれている方が公園をたまたま通り過ぎたのです。
蝶をみた時に、父だろうなぁとは思いましたが、まさかの青い軽トラをみた時に、あまりに父が何かを伝えようとしているようでした。
つい最近、母が父に後ろ姿がそっくりな男性が山奥で人気のない道を一人で歩いていたのを見たそうです。
用事があって通ったその道は、父とも通ったことがある道ですが、なんせ場所が人気のない、家もほぼないような場所のため車でその人を通り過ぎた後に後ろを見てその人を確認せずに帰路に着いたそうです。
顔は見ないでおこう。
母と同乗者はそう思い、帰路につきました。
父の3回忌も近付き、何か伝えたいことがあるのか、それとも私や父の孫たちが日本にいる今、一生懸命父の想いを届けてくれているのか、、、。
昔から、蝶とか、出会えたら幸運な珍しい蛇とか生き物にどの国、場所でもよく出会います。
特に蝶は大切な人が亡くなると、お通夜やお葬式、節目の時にまわりを飛ぶことが多いです。
一人で沖縄の久高島に初めて行った日も蝶がずーっと着いてきてくれて、一人で心細いわたしを守ってくれた気がします。
自然を通してのメッセージは、心をほっこりさせてくれます。
Juise