ひろこしゃんから、CD、本が送られてきました。CDは音か美しく貴女の声が素晴らしい🎵

私には、懐かしく、かつ、メチャ面白い本だと薦められました。
新潮文庫 「最後の秘境 東京藝大」
天才たちのカオスな日常
二宮敦人 著
一年ぶり、文字を追うのはキツイものがあったけれど、二宮氏の語りに確かに引きこまれ、読み終わりました。
学外の人にとって、そんなにも珍しいことだとは、私は、美校舎では彫刻棟と大浦食堂しか用はなく、たまに音校のキャッスルレストラン、何しろ、シェフの格好からして、違う、真っ白な帽子が高くのび、いつも真っ白にピチッと決めて。美校の大浦食堂のおばちゃんは、頭の髪の毛高く結って、「ハイよ」と、ドサッとテーブルに置いていったり、確か息子さんと聞いた気がしますが、背の高いお兄さん、魚屋さんのようにいつもエプロン汚れて、下駄履いてたかな?
私は研究室に籠っていたので、学生達の様子は横目で感じていました。
今、流行りの先端分野はなく、明治以来の伝統の中にありましたが、確かに人物に焦点をあてれば、今も50年前も、本質的に何ら変わりありません。可笑しいくらいに。これさほどに珍しいことだったとは。
そう、思いだしました。宮田亮平元学長、今、文化庁長官。彼も私も院生の時に、私の婚約指輪を材料費だけの約束で作っていただきました。インド土産の残り物のでっかいインドスタールビー。
貴方が、どんな人が使うのか逢いたいと言っていると言われ、大浦食堂で会いました。
貴方は、どかっと両腕をテーブルに乗せ、身を乗り出して私を真っ正面覗きました。私も彼を真っ直ぐ観賞させてもらいました。私には人物も物も彫刻の対象‼️良く見たので、ある日テレビで長官の大写しを、見て、あら、この人私知ってると思いましたが、お名前忘れていました。
貴方は50年も上野の森で、吠え続けて居られたのですね。良かった❤️
私の先輩なのに同級生の松尾ヒデマロは、可愛い愛妻との共同作品が好評で、好調な中、疲れが出たのか、富士の麓のアトリエに帰宅直前、居眠りし、木に激突。私の数少ない藝大の
知り合いで、あと二人ほど、仕事があまりに忙しく、食事をまともにしなかったとかで、突然死。餓死だよと聞いた時は、あの優しい物腰、笑顔を思いだし、この世は夢かと想いました。
行方不明者など、ちっとも心配ないですが、突然に消えてしまう死には、やはり、辛さがあります。
一期一会。私は、愛する人に、「消えません。風と「光」💕に成ります。」と伝えたい。
この本の中ごろ、「大人の幼稚園」という文字を見て、わぁ出た🎵と思いました。
私が、婚約者の母親に会った、初対面の時、「あんな幼稚園大学行ってると聞いたから、どんなのが来るかと、心配してたら、まぁ、普通で良かった」と言われました。数か月それから主人の実家にお世話になり、修士論文を仕上げました。
姑は、福島藩の家老職、城内の一丁目一番地が本籍で世がよなら、お姫様、気概の高い人、しかし、父親が病死すると、すぐに没落、小学校にも行けず、子守り奉公、文字は独学。おしんさんのようだった
と聞いていました。私は、最初に一本とられ、姑を尊敬しておりました。なんで、知ってたのかしら?と今も思います❤️

ビックリ🎵感動。
主人に何度もお願いするのだけれど、理解出来ないか忙しいのかと。


