お釈迦様は、すべての人生の苦しみは、我欲から生まれるものであるから、欲から離れたら、その時は、幸せになれるとお話されたのだと思います。

人によっては、欲の無いのは生き甲斐もなく、人間でいる意味がないと、断言します。その人は苦しみの中で生きることを選ぶと言うことでしょう。それとも苦しみをまだ経験しない幸運な人なのでしょうか。
50年昔のその頃、動物学者達の猿の研究によるフィールドワークの本が環境学の範疇で盛んに出版されていました。京都大学は特に有名でした。
その頃、いくつかの本を興味深く、読みました。そこで、経験の浅い、若かった私は、とても自分のこととして、学んだことが沢山ありました。その中のひとつ。生き物の一番大きな、生きる意味は、自分の命を子孫として残すことらしい。その手段として、欲望を使う。食欲は、体を養うこと。性欲は子孫を残すためのコミュニケーションの力。
ただ、体を養うのに必要な内容と量については、正確には誰も自分の適正を知らないのです。自然の中で、静かに落ち着いて、感じる第6か、第8感を駆使すれば、腹7分、過ぎても8分かと、分かるのでしょう。おそらく、野生の猿達は、第8感をも使ってそうです。過酷な自然環境の中で、適正は辛うじて守られるのでしょうか。でも、人は残念ながら、欲に駆られるのです。平和であればあるほど。
性欲も、小さな子供を産み育てる苦労の前に、人とのコミュニケーションとしての快楽を与える。「なあるほど、神様は、良く考えたものだ、快楽は、苦労を伴うことへの、甘い誘惑と言うことなんだ、子供を育てさせる為の神様のワナなのね」と若い私は思いました。
若い人の中には、甘いコミュニケーションだけを取り上げて、その結果である子育ての厳しさを切り離し、忘れたいかのようです。
本末転倒。学びは若者にとって、やはり、とても大切だと今でも思っています。
甘い欲望も、それには、理由があることを、沢山享受するのなら、それ相応に、代償も大きいものです。
歳は自然に取れば良い。若くて輝く可愛い時代も充分あったのだから。充分、今を甘受いたしましょう。
まだ足りないと思うのは、とても残念なので、正しく清く、美味しく甘受、せよ。若者達よ❤️
年寄りなのに、まだ足りないと思う者は、欲の亡者と心得よ。時間をあんなに浪費したではないですか。一見若々しく、装っても、その老いた質感は、まぎれもありません。私は、会う人皆が心配しないよう、お顔にオリーブオイルなどを塗ってます。お化粧の代わりに。
平等に、ひたすら前へ、過ぎて行く時間の不思議。いつか時間の無い世界に入れたら、また、どんな秘密があるのでしょうね。せめて欲望の無い世界でありますように❤️と祈ります。
ありがとう。大好きな本を送ってくださって、無垢で、そして、限り無く優しい、

私の大好きな作家の世界です。
本を探して歩いてくださったお心、有り難く、感謝です。
